アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

タスク管理むつかしい

やるべきことがの量と気分の上がり下がりが関係しているような気がする。少なければ躁気味に、多ければ抑うつ気味になる。丁度いいのは期限が決まっているタスクが1個くらい、無期限のものが2,3個位だろう。それ 以上or以下 になると気分の上がり下がりが目に見える形になって、生産性を落としてくる。きちんとタスクを管理するのが大切だ。

かと言って、私にはマネージャーがいるわけではないから当然タスク管理は自分ですることになる。奨学金の書類の記入、障害者年金の書類集め、積ん読の消化。優先順位は違っていてもタスクには変わりないから、少しずつこなしていかなくてはならない。一括でタスクを管理する方法を未だに確立できていないから抜け漏れも当然ある。困ったものだ。Google Keepでも使ってタスク管理してみようか。アイビーリーメソッドとKeepの一括管理で優先順位やタスクの分割を試してみよう。それからついでにAKDリストづくりもやれたら習慣を変えられるからいいかもしれない。こうやって計画だけ増えて実際には何もやらない変わらないなんてことはよくあることだ。今回こそ......と毎回思うのだが、なんでこう上手く行かないのだろうか。仕組みを作れるかどうかだろうな、と私は思う。

仕組み。一度作ったらそれに従うだけその後の判断の回数は多くない。そういうものを作れるのが理想だ。しかし、タスク管理を目的とする以上タスクの難易度で取り組み方は変わってくるだろうし、毎回同じようにできるとは思わない。また、気分の波でできる量が変わってしまうのも厄介だ。新しい取り組みを無負荷で始められるなんてことはありえない。その負荷をいかに小さく、分散できるか。これが私が習慣を作るときのテーマなのだと思う。

負荷のかかるように。かと言ってかかりすぎないようにしないと私の気持ちは病み気味になる。今日病院で言われた「躁病の治療は少し落ちている状態が丁度いい」という言葉は「適度に負荷をかけて生活をしなさい」というメッセージだったとの解釈もできる。私が一番ハッピーになるときと言うか、気分が良くなるときはなにか束縛から逃れられたときだ。受験の終了、何日も掛けて取り組まなくてはいけない課題の提出、ストレス元となる家からの脱走。これらの瞬間はとても気持ちがいいし、新しく何かに取り組むきっかけになる。プレッシャー を跳ね除けてorから逃れて 自由を手にした私は無敵状態だと錯覚している。こんなことを周期的に繰り返すから、躁うつ病と診断されるのだろう。でも、これはすでに私に馴染んだやり方だ。今から変えるのは難しい。だからこそ、度を過ぎて高くなったり低くなったりしないように薬とのお付き合いをする必要があるのだなと思う。

気持ちよく物事をすすめるにはある程度の「自由である」という実感を伴わせる必要があると感じている。締め切りギリギリで物事を終わらせるのではなく、選択的にまだやってもやらなくてもいい位のときに終わらせてしまうというか。余裕の持った計画の立て方を勉強する必要があるように感じる。よく、締切より前に自分の締切を作れというアドバイスを耳にするが、それをどうやったら自分の物にできるかが最近の悩みだ。上手く自分の性質とか癖を見抜いて新しくタスクややりたいことを習慣化することを目標に少しずつ変わっていけたらと思う。

とりあえずGoogle Keepでアイビーリーメソッドとタスクのリスト、AKDリストを作成した。毎晩夜寝る前に見直すようにしたい。