アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

線を描くように。文章、それから絵。

1本、線を引く。それはどんな種類のものでもいい。破線波線直線曲線。何でも良い。それに次いでもう1本線を引く。交差させてもいいし、平行に引いてもいい。人によってこの2本の線は異なったものになるだろう。どんな線を引くかは自由だ。もしかしたら長い曲線で絵を描く人もいるかも知れない。

私は最近線を引くことにハマっている。ちょっと変な感じがしないでもないが、事実暇があれば線を引くことに夢中になっている。本を読んでいるとき、紙の本で使い倒してもいいと思えるものにはどんどん線を引いていく。線を引いたページは折り曲げて後から戻って読み直せるようにしている。また、文章を紙に書くこと。これも線を引く活動のひとつだ。横書きすることがほとんどで、下から上への接続が悪いときは文字を下から上に書いたりする。オリジナルな線の引き方が少しずつ確立されてきた。さらに絵を描くこと。これも線を引く作業のひとつだ。芯ホルダーでラフな下書きをしてからボールペンで線を引いていく。消すことのできないボールペンでの線びきはスリルがあって面白い。しつこくなり過ぎないように、それでも要点は抑えるように線を絞っていくのがとても面白い。

自分の趣味は何かと言われたときに私は大抵本を読むこととか音楽を聞くことと答えるが、稀に文章を書くことと答えることもある。文章を書くことは自分の状態を客観視するのに役に立つし、自分の書いた文章を再読して不要な部分を削り、必要な部分を加えるといった編集が楽しい。無駄のない、パズルの最後のピースがハマるような文章を書きたいといつも思っている。この文章もおそらく書ききった後に2回は書き直してからブログにアップすることになるだろう。書いた文章の中でも特に気持ちの良いものはnoteにも転載するようにしている。これが良いプレッシャーになって文章を書くモチベーションになっている。実際にはラップトップに向かって文章を打ち込むことが多くなってきているが、良い文章は紙ベースから生まれることが多い。フリーハンドで引く線には何らかの意志がこもるのかもしれない。

文章は言葉をつなげ自分の考えを表現する一種の遊具だと思っている。ひとつの言葉につながる言葉はある程度限定されはするものの、人によって違う。だからこそひとりひとり違う考えを持てる。たとえば「花」という言葉に対してあなたが連想する言葉はなんだろう。「チューリップ」のような花の名前かもしれないし、「花弁」といったパーツかもしれない。もしかしたら「植物」という分類を思いつく人もいるだろう。私は「火」や「炎」が連想される。なぜかと問われると答えるのが難しいのだが、花の咲く儚さや猛々しさがそうさせているのかもしれない。嬉しいことに私は文章を褒められることが多いのだが、もしかしたら一般とはちょっと違う連想のパターンを持っているのが原因なのかもしれない。私は躁状態による飛び飛びの言葉のつながりを結構気に入っているのだろう。

文章を書くことは象形文字から考えれば絵を描くことと近しいものではあるのだが、今は絵を描くスキルと文章を書くスキルは別物だと考えられる。小説家だからといって絵を描くことがうまいとは限らない。逆もそうだ。当然例外はいるが、両方のスキルを持っている人は少数派だろう。私は最近になってまた絵を描くことを始めた。またというのは以前はよく描いていたからだ。小学校から中学校の間、選挙とか薬物乱用防止のポスターをよく描いた。祖父母が美大に行っていたのと、母もイラストレーターだったのもあってすごい重圧をかけられて必死になって描いたのを覚えている。結果として賞をいくつももらったのは良い思い出だ。

ポスターはメッセージありきの絵だ。選挙に行きましょーとか、大麻はやめましょーとか伝えるべきメッセージが予め決まっている。後はそのメッセージにつながるように頭の中で組み合わせてそれを絵として表現すればいい。例えば歌舞伎の見得を切る仕草が薬物に待ったをかける動作に似てるなとかそういうものだ。時間さえかければ誰でも良いものは描けるとおもう。私は夏休みのほとんどを絵を描くのに使って宿題は最後の1日でやるか、すっぽかしていた。やはり家族からのプレッシャーがあったからだろう。

そんな私は今、自由に絵を描きたいなと思っている。Vtuberになりたくてそのためのイラストを書きたいと言うのもあるけれど、なんと言っても文章を組み立てるのと同じ感覚で絵を描けたらそんなに楽しいことってないと思うからだ。目にしたものをすばやく素描する。これはカメラで記録に残すよりも何が印象的だったかがわかりやすい。描きたいものを描く。もしかしたら文章では拾いきれなかった物が絵の中に収められるかもしれない。そんなわけで絵を描くスキルを学ぼうと思うのだ。私の場合ポスターを描くのはいわばコピペ的作業だった。頭の中のアイデアを整理したら資料を探してできるだけ忠実に四つ切画用紙に落とし込んでいく。しかし、今度私が目指すのは自分の内面を全面に出していくドローイングだ。あふれる何か、それを言葉にもできないときのルートとして絵を確保しておきたい。

文章は書く内容<コンテンツ>が充実していないとろくな文章にならない。文章に落とし込むまでに失速して散り散りになってしまうからだ。絵はどうなのだろう。試してみないとわからない。趣味でかく文章と絵はどこまで上手くなれるのか。文章に関しては良い文章に触れていろいろ試していくしかない。絵も描いてみないと始まらないだろう。全ては1本の線から。

もりきよ、お絵かき始めます。これは単に絵を描くという宣言ではなく、内面を充実させ表現するという宣言。毎日何かを学び成長したいものですね。