アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

やりたいこと、できること。SSを書いてみて

昨日、私は1本のSS<ショートショート>を書き上げた。私は普段自分の視座から物事を眺めた解釈ばかりを書いていて、物語を書くというのは生まれてはじめての体験だ。

書いてみて感じたのは物語だとしても、というよりも物語だからこそ、自分の色が濃く出るということだ。自分の設定で、自分なりのオチを作って話にする。自分の経験や知識が総動員されて独自の世界を作る。面白いし楽しい。

私はこうして新しい自己表現の手段を手に入れたわけだが、じつは楽しい反面苦しくもある。表現したいことと実際に作られる文章を一致させるのは至難の業だ。まず、語彙力の低さから解像度の粗い長い文が沢山つくられてしまう。そして、表現技法も多く持ち合わせていないから、自分にとってはありきたりな文の羅列になってしまう。

私はこうした文章が好きでは無い。エレガントではないからだ。文章は冗長でなく、遊びも計算されるのが理想だと思っている。その点から言って今の私の文章は理想からは遠い。

実はこの文章に私の個性というのが詰まっているのかもしれない。そう頭の中では理解している。しかしどこかで自分の文章は陳腐でくだらないものに思えてしまうのだ。

作成はするものの納得の行く作品ではない。だから修正する。この作業をしているときに文章づくりはパズルのようだなと思う。納得する形、表現したい形に合わせて一文字単位で消したり加えたりする。これはブログでも同じだ。納得する形に近づける努力。これが要求される。

苦しい作業だが、文章を作っているときには頭を使うし、それに喜びを感じる。少しマゾヒスティックな感覚かもしれない。しかし、自分の新たな一面を探るために文章を書くというのはとても意義深いことだと思う。

私がSSを書こうとしたきっかけは単純なものだ。それは睡眠剤を飲んで健忘状態になったときに、「文章を仕事にしたい気持ちはある」とついーとしたことだ。正直シラフではそんなことは恐れ多くて言うことができなかった。沢山の人がそれを目指して挫折しているだろうことは容易に想像できるからだ。

しかし私は<薬による事故のようなものだが>内在的な気持ちを言語化して、発信した。そこに少し責任感を感じて文章を書くための勉強を始めたのだ。まず図書館に行って、作家になるための本を2,3冊読んだ。その中にSSを推している本があってそれに影響されてSSを書くことにした。SSは注意力が散漫な私に合っていると感じたのだ。

そしてブログの更新頻度を上げることを決めた。これは毎日文章に触れることで語感を鍛えようと思ったからだ。現在のところ、これはうまくいっていると思う。

そうして今の生活が有るのだ。本を読んで、文章を書いて、友人と作業通話をする。贅沢な日々を過ごさせてもらっていると思う。

文章を書く難しさに触れるにつれて、「やりたいこと」と「できること」は別物なのだと感じた。文章を書くことは好きだし、これからも続けていきたい。ただ、やりたいからと言ってすぐに実力がつくわけではないのだ。

できるからやりたいという場合も有るし、やりたいからできるようになる場合もあるだろう。

できること、できること・バー。やりたいこと、やりたいこと・バー。

どの場合にしても、「できること」と「やりたいこと」が一致することが幸せなのかなと思う。

昨日友人と話していて、自分のやりたいことが30代後半になって見つかったというデザイナーのことが話題にあがった。私達2人は20代後半には死のうかな~なんて考えるタイプだったし、生きがいがそんな時期になってから見つかることが有るのは正直驚きだった。

生きている中で、「やりたいこと」と「できること」の共通部分を探し続ける必要がありそうだ。最低でも、「やりたいこと」で、そのモチベーションから自分を成長させて「できること」に変えられるもの。これが充実感のある幸福な生活に必要なのではないか。

これを追い求める努力をやめたとき、人生に妥協してしまう気がする。青い考えかもしれないが私はそうありたくない。

私は最近になって書くことの楽しさに目覚めた。読書するときにも読み手としての目線と書き手の意図を探る目線の両方を使うようになった。この先書くことが、私にとっての「できること」に変わっていけるのかはわからない。けれどしばらくの間は大事に育てていこうと思う。

余談だが私は音楽を作ってみたいとも思っている。ジャンルはSynthwaveやChillwaveと言われるものだ。まだ作曲法などは知らないが「やってみたい」。日常的にする書くという行為と比べて作曲は知識やセンスが必要だと思われる。これが「できること」に育つかはまだわからないが、こういった好奇心を失わないで日々を過ごしていきたい。


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