アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

半分以上つくられた思い出

定期テストが近づいていた。今回出題される範囲はどの科目も広く、大辞海をまんべんなく勉強しないと高得点を取るのは難しいと言われていた。嘘だ。そんなものから問題を出されてたまるか。あまりに広い範囲だったためにこういった冗談が生徒の中で流行っていた。「メソポタミア文明からフランス革命もやって、近代史に入るっておかしいんじゃないか」と生徒のひとりが世界史の範囲の広さにため息をついていると、すぐ後ろにいた教師が「広く浅く教えているはずだ。2周目以降はより詳細まで詰めて教える。一通り教えるのが私の授業の第一段階だ」と話していた。

学習は反復だ。自称進学校に属するなら何度も耳にするであろうエビングハウス忘却曲線はそれをよく表している。生命活動に関係しない記憶、五感の伴わない記憶、理解に落とし込めずに表面だけ掬った記憶。これらはすぐに忘却され、体から遠のいていく。遠のいた記憶をたぐり寄せるのは難しいし、時間がかかる。私は知識にアクセスできる状態のことを知っているというのだと思っている。例えば、テスト中はスマートフォン、インターネットを使えない。アクセスできる知識はカンニングペーパーや頭の中のそれということになる。そうなるとテスト中の知識量を上げるには教師の言うことが案外理にかなっているのかもしれない。

この学校は普通校と少し違うテストも行う。世界史や数学、国語のような普通の科目のテストに加えて分野横断のテストというものがある。ここで私達はコミュニケーションスキルや好奇心の強さ、検索の仕方や問いの編集方法に創造性のテストを受ける。どれも測るのが難しいものだと思うが、教員ふたりによる厳密なチェック体制と採点基準により成績やポートフォリオに反映される。私は問いの編集法と創造性のテストが得意だった。問いを答えやすい形にするのは楽しいし、身近なものの違う側面を利用して新しい使い方を考えるのは普段からやっていることだったからだ。こういったテストは多くの生徒から受け入れられ、このテストで求められるスキルの獲得を目的にこの学校に入る人もいるほどだった。なかにはディベートが好きだから入ってきたという知人もいる。ディベートもテストのひとつである。

そして、この学校には一芸に秀た生徒を集める、通称バラ組というクラスがある。バラと言うと薔薇と百合という漫画のジャンルのバラを想起する人がいるようだが、バラエティに富んだ組という意味でのバラ組らしい。最近はダイバー組とか新しい呼び方を考えようという流れもあるようだが、よく知らないのでここでは触れない。とにかく、いろいろな尖った奴らが入って来る少し変なクラスがあるということだ。かくいう私も実はそのクラスの一員である。なんでも特筆すべき長所はないが、ある程度何でもこなす人間がバラ組にもすこしは必要らしい。学年の主任の先生から直々に頼まれて、このクラスに入ることを了承した。「生徒たちの学びの化学反応」を謳う学校方針に隠れた、触媒としての存在だ。私はいわゆる器用貧乏だ。周りの人を見ると自分の能力の不足を感じてしまう。中には触媒生徒が周りに触発されて、優秀な生徒に変身することもあるらしいが、きっと私はそうはなれないだろう。

とまあ、私のいる環境についての説明はこんなところだろうか。私も少しは勉強をしなくてはいけない。放課後の教室には人がまだたくさん残っていた。高校も2年目になると皆余裕が出てくるというか、要領が良くなる。過去問を先輩から獲得したり、クラスの中から有志を募り2組に分けて合計点で競いあうなんていうのはバラ組ではよくあることだ。テストの合計点を競うサム競技や、各科目の最高得点の和で競うベストスコア競技があった。今回私は白組。小学校よろしく組分けは紅白なのだ。くじ引きで決められたこの組に正直愛着はない。ただ断る理由もなかった。せめて足を引っ張らないようにしなくてはいけないなと思う。

特に勉強のできるTという男がいた。彼は今回白組だ。彼は人前になると上がってしまう癖があって、コミュニケーションのテストでは平均を下回る点数をとっていたが、他の教科なら9割は堅いやつだった。彼はいつも生物学オリンピック日本代表のAや神経科学の専門書を読んでいるMとよく話し、勉強しているようだった。

しかし、今回の団体戦でTはAやMと別れてしまった。別に相手の組と一緒に勉強するのは禁止されているわけではないのだが、少しは気にしているのだろう。Tは教室の端の方で黙々と勉強をしていた。勉強と言っても、今回の範囲の応用問題の中でも特に難しい問題の演習だ。正直、とっかかりにくい。無理に付き合う必要もないのだが、めったに話したことのない人というのはそれだけで話してみたくなる。私の性だ。

「やっほー、T。勉強の調子はどう?国語とか苦手だから教えてほしいんだけど」「ああ、君か。数学はもう問題集を過去に3周していたから特に勉強しなくてもいいかな。国語か.......。この問題集がわかりやすいから貸してあげよう。今回、君は白組だったよね」「よくおぼえているね」「まあ、君は一般科目はそこそこできるってイメージだけど、分野横断のテストはすごく良いスコアを取るって噂を聞いたんだ」「そんなに大したことじゃないけどね。努力してできるようになったわけではないし」「努力だって?そんなもの僕だってしたことないさ。好きなことやってたらできるようになっていたって感じだよ。結果として良いスコアを残す事はあってもそれは結果だ。努力した証とは限らない」

確かに彼の言うとおりだ。私のコミュニケーションスキルは楽しくていろいろな人と話しているうちに培われた。案外私達は似た価値観を持っているのかもしれない。

「僕は君も知っていると思うがコミュニケーションを取るのが苦手でね。君にコツを教えてほしいんだ。よかったら週末うちに来ないかい?君は僕に勉強を見てもらえるし、僕は君にコミュニケーションの方法を教えてもらえる。いい関係だと思うのだけど」「悪くないね」「そうだろう?化学なんかは実際に実験を自宅のラボで行うこともできる。魅力的な提案じゃないか」

案外Tは押しが強かった。話はとんとん拍子に進んでいった。本当にコミュニケーションが下手なのか?もしかしたら話しすぎるコミュ障なのかもしれない。あるいは何か訳があってコミュニケーション能力を低く見せているか。不思議なやつだ。なんて考えているうちに話が進んで断りづらくなってしまい、週末Tの家に行くことになった。

Tの家は豪奢だった。高価そうな綩綖がテーブルの下に敷いてあった。飲み物をこぼしたらどうするのだろうかなど貧乏故に出てくる疑問を飲み込んで奥に進み彼の部屋に向かった。私はワンルーム6畳程度の寮に住んでいるのだが、彼の部屋は1.5倍はあるように思えた。部屋には本棚があり、几帳面にも十進分類法で整理されていた。機能面でもきっとそれが良いのだろう。彼の使う机は大きく、積ん読タワーが6本ほど建っていた。色々なジャンルの本が建てられていたのが彼らしい。

彼の勧めてくれた国語の参考書を読む。わかりやすいし、自分のレベルに合っているのを感じる。わからなかったことがわかる。面白い。2ポモドーロほど勉強したときにTと会話をした。

「今のテスト対抗戦っていつ始まったのか知ってる?」「ああ、3年前にはあったらしいよ。僕のお兄さんが言っていた。お兄さんの2つ上の先輩が始めたらしい」「今回白組は勝てるかな」「そういうことを考える前に手を動かさなきゃ。正直AとMの他にも優秀な一点突破型の生徒が紅組で、多士済々の顔ぶれだからベストスコアでは負けると思う。でも、サムなら勝機は全然あると思う。頑張ろう」

午後になって、今度は私がTに勉強<?>を教える番になった。よく出る、シルエットと材質からそのモノの用途を考える想像力のテスト、言葉の意味を検索して正しいものを選ぶ検索のテスト。この練習をまず最初にやった。例題は学校のホームページから手に入れることができる。私は過去に何度か解いたことがあったが、Tは初めてのようだった。

「これは.......棒か?紐がついているみたいだな。それで材質は......昆布または高分子?」<ラミナリア桿か.......ちょっと難しいかもな>。「これは食用ではなさそうだね。となると道具か.......」。「昆布......アルギン酸ナトリウム。高分子.......超吸水性ポリマー。水につけて使うものなんじゃないか?そうだな、大きな岩に穴を開けて楔のように使うみたいな感じで」

だいたい正解だったから回答を伝える。「ああ、医療用なのか。知らなかったよ。これ、事前知識無しで正解できる人はいるのかな」学校としては正解するかしないかは問題ではなく、問題にどのようなアプローチで臨むかを見ている体らしい。実際、この試験は面接のような形式でオンラインで実施される。教師の負担は大きいが、テストとしては面白い。MECEにのっとてあらゆる可能性を精査しているか、論理的に記述、論述できているか。それらが試されるのがこのテストだった。

「じゃあ次。ダブルフィストって言葉の意味を推測してみて。検索オーケーだよ」「そうか、ダブルフィスト......と。うん?アダルトサイトが大量に出てきたのだが。フィストってあのフィストだったのか。ダブルってどういうことなんだ。ひとつの穴に2つ?いや2つの穴にひとつずつ?ちょっと見てみようか。........うわ、すごいなこれは」

問題が悪かった。なんで学校のページにこのような言葉が載っているのだろう。しかも模試という体で。バラ組にはITに強いやつもゴロゴロいるからその中の性癖の歪んだやつが書き加えたのかもしれない。誰も知る由もないが、不適切な問だとして学校には報告しておいた。

結局、模試があるならばそれを解くのが最高の勉強法だ。範囲が広くても先生の特性を理解していれば問題なく対応できるだろう。そのことをTと勉強した1日で悟った。Tはあの後、様々な模試を解く中でコツを掴んだのか、正答率がみるみる上がっていった。このままの勢いで行けば、きっと誰も止められないだろう。

後日ほぼ満点を記録したTは私にタピオカミルクティをおごってくれた。私は別に何もしていないと思うのだけど、彼はどうしてもお礼をしたかったらしい。律儀なやつなんだと思った。クラス内での紅白戦はTの言ったとおりサムで勝って、ベストスコアで負けた。相手のベストスコアはすべて満点だったらしい。Tも3科目満点をとっていたが他の科目に満点がいなかった。結局景品のお菓子はクラスみんなで食べることになった。新しい人と親睦を深める意味でもこの紅白戦は面白いものだった。これからも良き伝統として続いてほしいと思う。私のテストは8割5分ほどでいつもより良かった。ありがとう、T。

テスト終わりのゲームで当方をプレイしたのだが、Q.E.D「495年の波紋」でピチュりまくった。東方難しい。