アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

とってもさみしい。

ひとりでも満たされていると思っていた。充実した日常を過ごしていると思っていた。けれど最近は寂しさで心が折れそうだ。数週間前の満たされたという実感はいったい何処へ。寂しさをに気がついてからは涙を流すこと抜きには眠れなくなった。ただ寂しい。もしかしたら季節のせいかもしれない。毎年この季節は抑うつ的な状態になりやすい。今年はそれが寂しさとして出てきているのかもしれない。

いままで何度も書いているように私は双極性感情障害持ちだ。いわゆる躁うつ病。薬で感情の波をおとなしくさせてはいるけれど結局人間だから多少の波は残る。そしてそのリズムはあまり変わらない。春に下がり、夏にあがる。秋の暮れに下がってくる。冬の終わりに少しあがる。もっと細かく見ることもできるのだけど、季節で区切るとおおよそこんな感じ。薬による治療を始めたのは今年の春からだが波のリズムの変化はあまり感じない。要するに今は下がり気味だということだ。例年通り精神の不安定さを感じる。

先日のブログでは自分の精神科での診断書<情報提供書>を3枚書き写して公開した。そこでは幼少期の境遇から愛着に障害があるおそれがあるという文言が多く見られた。自分で調べたけれどよくわからなかった。幼少期のネグレクトだったり家庭環境の大きな変化の多さで愛着の形成がうまくいかなかったと判断されたらしい。愛着とはおむつを換えてもらう等の生理的欲求に周りが応えることを繰り返すことで形成される関係のことだ。愛着障害の症状としてはうまく人に甘えられない・頼れないとか、逆に人見知りをせずに誰にでも抱きついてしまうというものがあるそうだ。うーん。私はどちらかと言えば前者かなぁ。その他にも精神疾患を抱えやすく、長引かせやすいであったりとか、安定した人間関係の構築が苦手な傾向があるという。

この途方も無い寂しさにあてられて私は少し実験をした。それは自分が無意識的に作る心の壁を取り除こうとするものだった。心を開くとは自己開示<自分のプライベートな情報を公開すること>だと考えたのだ。私は他者と関係を維持するのがうまくない。それは相手が私と仲良くしてくれるという状況であっても、自分でその状況を飲み込めずにかえって距離をとってしまったりすることに起因する。その時に形成される心の壁を取り除いたらどうなるのかと考えたのだ。実験の中では自分のなかで隠していることなんてなにもないと言えるくらいぶっちゃけた話をも公開した。それこそ逆恨みを買いそうなことすらも。しかし、結局は自己開示は他人を信用することそのものではないことに気がついた。

気づいてしまえば当たり前なのだが、自己開示するからと言って信頼が伴っているかと言うとそうとは言えない。そう、言うなればミラーリングに少しにている。ミラーリングは好意を持っている相手の動作を無意識のうちに真似てしまうこと、または逆に真似ている人に好意を無意識に持ってしまう現象だ。私は前者の話をしようと思う。ミラーリングは好意を持っていると自動的に出るが、そうでなくても意図的に相手のマネをしようとすればできるだろう。好意の伴わないミラーリングもあるということだ。これはカウンセラーとかがあからさまに使っていたりする。これと同様に自己開示も心の壁を取り払わなくても技術としてできてしまう。ああ、気付かなければ「私は自己開示できているから心を開けてる。皆大好き!!」なんて思えたのだろうか。

自己開示が心を開くことに必ずしもつながらないとわかっても、心を開くとはどういうものなのかわからないままだ。相手を自分や周囲の人間に危害を加えられる状況に置いた時にそれを実行しないと信じる気持ちだろうか。特定の人を他の人間と比べて特別扱いすることがいまいちできない。いわば皆に心を開きながらも、皆に心を閉ざしている状態なのだ、私は。誰かが私にだけ相談事をしてくれたりしたらそこに信頼関係を築けるのかもしれない。私が話せる内容はすべてついったに載っけてしまった。相互で信頼できる関係になるには誰かが私を信頼してくれているのを実感する必要があるように感じる。それがきっと「恋人」のような関係になるのだと思う。

いま、恋人がほしいか。答えはイエスである。恋人というものがいまいちわかっていないことは否めないが、あまりにも寂しすぎる。寂しさから乱れた関係になっていくのは健全とは言い難いがそれでも良いのだと開き直りたくなるくらいには寂しい。頭の中を真っ白にしてくれるような経験を求めているのかもしれない。何もかもを忘れてそれに没頭できるような、性的倒錯した関係。きっとそんなものを求めているのだなと思う。寂しい、寂しい。アネロスを買うことから始めようか.......?

私は他者と共有できる記憶が少ない。引っ越しが多くて幼馴染と言える存在がいないのもそうだが、私が経験してきたことを経験したことのある人はとても少ない。だからこそ私はここでそうするように体験談や考えたことを書き残し孤独感を紛らわせようとしているのかもしれない。

生保受給者で障害者だから恋人を作るなんて夢を見てないで現実を見ろという意見もありそうだ。わかる。とてもわかる。私にもこれらを自分のアイデンティティにしたくないという思いはある。でもどうしようもなく寂しいのだ。助けてくれ。

ほぼ誰にでも自分に関する情報や過去、悩みを話すし他人を画一的に信頼する事ができる。その反面自分の感覚には鈍感で本音で話せなくなってしまったり逆に本音で話すあまり傷つけてしまったり.......。そんな私を信頼し、愛してくれる人はいないかな。私、寂しいです。


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