アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

もりきよの3枚の診断書・情報提供書。

私は双極性障害を持っていて、今も精神科の病院に通っている。診断名は適応障害うつ病双極性障害というふうに変わっていったのだけど、それぞれの病院での診断書等を見る機会は当然なかった。しかし、それが転院やらなんやらをするときに手に入った。本当はしないほうが良いのだろうけど、コピーを取らせてもらったのだ。今日はひさしぶりにブログを書くリハビリ的な作業として、その診断書たちを写していきたい。障害者手帳取得用の診断書が個人的にはいちばんおもしろかったのだけど、それは紛失してしまった。昔使っていたiPhoneに画像フォルダとして入っているのだろうけど、そこまで漁るのは面倒だ。気が向いたらやる。

①診療情報提供書 某国立の精神病院 メンさん先生

患者指名 もりきよ

患者住所 東京都東大和市XXXXXXXXXXXX

電話番号 XXX-XXXX-XXXX 職業 

傷病名 気分変調症<双極性障害の疑い>

紹介目的 ご加療のお願い

既往歴及び家族歴

症状経過及び治療経過平素より外変お世話になっております。当該患者様の診療情報をお伝えいたします。今後のご加療を何卒よろしくおねがいします。以下余白。

現在の処方

別記

備考 別紙ご参照ください

【主訴】

気分が落ち込む、食べても吐いてしまう

【既往歴】気管支喘息、精巣捻転

【家族歴】

母方の祖父:暴力的で、母が血まみれになるほど暴力をふるい、家はめちゃくちゃだった<母曰く>

妹:「みんなと同じことができない、話を聞いていない、とよくいわれた。都立小児総合医療センターで自閉症と診断され、5-7歳まで通院していたが、その後通院継続の必要性はないと言われた。人の話を聞かない、自分のやりたいことばかりやる、など変わった点は多いと思うが、現在は普通学級に通学している<母曰く>

【アレルギー歴】食物:なし 薬物:なし

【嗜好】飲酒:なし 喫煙:なし 違法薬物:なし

【生活歴】

 東京都にて同胞2名中長子。周産期に以上はなかった。10歳下に妹がいる。母は23歳で本人を出産した。相手の男性は一回り以上年上で妻子がいた。愛人関係のような状態で出産し、結婚はしなかった。父は本人に半年に一度しか会わず、本人は顔を覚えていない。母は本人がお腹にいる頃から幼児教室に通い、1歳になる前から英語、乗馬、フットサルを習わせていた。始語、始歩の遅れはなかった。本人は1歳過ぎから、電車に乗ると駅の名前を勝手に覚え、漢字で切符を作って遊んでいた。4歳まで習い事を続けていたが、父が逮捕され<殺人>、江戸川区内で転居した。父からの仕送りが滞り、母はヤクルト販売員などの職に就いたが精神的に不安定となり、育児できなくなった。半年ほどで施設に本人を預けた。本人は5歳から7歳まで施設で育った。とても優秀な子供と評価されていた。小3の頃に家に戻り、小4で母が再婚し3人暮らしになった。義父は本人だけを別室に置いて冷遇するなど十分な愛情を注がなかった。やがて妹が生まれたが、義父から母への家庭内暴力が強まり、妹出産後3か月で両親は離婚し、母子3人で避難するように転居した。婚姻期間は実質半年で母の金は義父にすべて使われていた。

小4以降も学校への行き渋りはなく、施設時代からやっていたサッカーを続けていた。小5で都営住宅に引っ越し、小6で地元の小学校に転校した。成績は女王位だったが友人と馴染めず孤立していた。

地元中学校に進学し、バドミントン部に入部した。授業に行けなくても図書館で勉強しており、学年上位を維持していた。中1時代から希望していた理系の都立多摩科学技術高校に入学した。

【通学歴】

小1~2:つくばの公立小学校 施設で特定の児童にいじめられていた

小3:江戸川区の公立小学校

小4~5:台東区の公立小学校

小6:東大和市の公立小学校 「友人の名前を覚えるのはめんどくさいから覚えない」といっていた

中1~3:東大和市の公立中学校 成績は上位 新入生代表挨拶 バドミントン部

高校:都立多摩科学技術高校

【現病歴】

 中1の頃、しばしば起立時に意識を消失し、母が保健室に呼び出された。当時は起立性低血圧といわれていた。

中2の頃、時に気分が高揚するようになり、周囲からテンションが高いと言われるようになった。気分の変動、睡眠欲求の減少を自覚したが、自然に寛解した。当時は3日ほど上機嫌な日が続き、その後普段の状態が数週間から1か月続いた。

中3から高1の春先までも同様の変化をしていた。高1の夏休み前に抑うつ的になり、自責感、漠然とした希死念慮が生じた。

高1の秋、さらに抑うつ的になり、億劫で勉強に手がつかなくなった。

その後気分良く過ごせる時期と、落ち込む時期を何度か繰り返した。

全体として憂鬱な状態が多く、そのなかで上がり下がりを感じていた。

高1の頃は生徒会の副会長をやって高2当時は生徒会長を努めていた。

高2の夏休み中に1週間のベトナム研修<自ら小論文を提出し、都内で1人の枠に選ばれた>に行き、京大の公開講義<エルキャス>に応募し、月2回京都まで新幹線で通っていた。

高2の7月頃から朝が起きれなくなり、1限に遅れるようになった。

夏休み明けの2学期<9月>から症状が増悪し、遅刻、欠席が目立つようになった。

高2の8月頃に「自分はうつだ」と母に訴え〇〇〇クリニックを初診し、アルプラゾラムが処方された。不安なときや涙が出る時に効果があったように思えた。

次第に食思不振が増悪し、食事をしてもすぐにトイレで嘔吐するようになった。

当時リストカットをすることもあった<不詳>

精査加療目的に2017年12月12日に当院を初診し、12月22日に任意入院した。

【入院~退院、通院中経過】

# 抑うつ状態<双極性障害の疑い>

 #1-1 葛藤的家族関係

#2 嘔気、嘔吐

2017

12/22 任意入院

2018

01/09 病棟より登校開始

01/22 家人、本人と面談。休学の方針。

01/29 気分高揚、多弁、アイデアが浮かぶ

02/02 軽躁様状態は改善

02/13 本人曰く70% 客観的に見て平常

03/02 退院


 入院時の症状としては抑うつ気分、不眠に加え、嘔気、嘔吐が見られた。入院後制吐薬を使用しても症状は改善しなかった。

不眠に対してフルニトラゼパム1mgを一時的に使用し改善した。

心理監査は、BDI32点程度のうつ状態であり、MMPI、バウムテストでも同様の抑うつ傾向、エネルギーの低下が示唆された。

 WAISはFSIQ:120、VIQ129、PIQ:105と、知的には十分保たれていたが、回検査では多少のばらつきが見られた。

 PARSは幼児期ピーク、思春期・成人期ともにカットオフ値を下回っていた。

 当初正月休みがあけて学校が再開するまでの入院を予定していたが、症状改善が不十分で、薬剤調整、環境調整を要すると判断し、しばらく当院より通学して様子を見た。

 学校から帰ると毎日「今日もしんどかった・・・」と訴え、抑うつ気分や嘔気嘔吐の改善は限定的であったが、情動の不安定さは徐々に改善し、全体として症状改善傾向にあると判断した。

 2018年1月22日に本人、家人、担当看護師、外来主治医、病棟主治医で面談を行い、無理せず休学することを提案し、本人も同意した。面談中、医師に対して「学校でmajorityと同じように振る舞うのが疲れる」「学校は図書館があったり実験ができるのは良いが、それ以外にメリットは感じない」と述べた。

その後、嘔吐は次第に改善したが、てんじて気分高揚、多弁さが見られるようになった。医師に対して今後やりたいことを饒舌にプレゼンしたり、デイルームで他患と談笑していた。

 その後きぶんこうよう、多弁、食欲亢進が持続したが、復学に関して母や祖母とすれ違いがあり、軽度なうつ状態になった。

 2月26日に学校側から留年が通告されたが、母の動揺とは裏腹に、本人は大きく乱れることはなく、受け入れていた。その後も症状は安定し、3月2日に軽快退院した。

 気分、情動に周期的な変化が見られたが、操作的に双極性障害と診断する程度のものとはいえず、当時の年齢を考慮しても、内因性の気分障害とあえて診断せず経過を見る方針とした<葛藤的家族関係、愛着の問題を抱え、それに思春期葛藤が加わった状態として、力動的に説明できる範囲と考えていた>

 退院後は当院通院を継続していたが、処方は退院時と変わらずロフラゼプ酸エチル1mg飲みだった。経過を通して気分安定薬抗うつ薬は使用しなかった。

学校の成績は教科によっては220人中1位と優秀で、進学について前向きに話し合うことができていた。

 退院後、明らかな躁病エピソード、うつ病エピソードは認めなかった。

 2018年8月27日を最後に当院への通院を自己中断し、現在に至る。

②連携紹介状 ボーダー先生

紹介の目的 当院退院後の継続加療について宜しくお願い致します。

病名 うつ病

既往歴 特筆すべきことなし

病状経過

いつもお世話になっております。上記患者様について情報提供させていただきます。現病歴としては小学校時代より漠然とした希死念慮が持続しており、平成29年夏頃<高校2年生>には悲観的な言動が目立つようになり自傷行為を認めることがあった。〇〇〇クリニックを受診したところ入院加療を勧められて某国立精神科病院に平成29年度9月より平成30年1月まで任意入院した。入院中に心理検査も施行されたがASDは否定的であったが回項目でばらつきを認めて回避傾向が強いことを指摘された。

検査結果 

診断は適応障害であり、退院後は動員に数回受診したが自己中断となっていた。令和1年12月に希望していたアメリカの大学入牛を受験するも不合格であったこともあり次第に抑うつ的となり自責的な発言が目立つようになった。令和2年1月より自傷行為などの衝動的な行為を認めて、同月24日には自宅で延長コードの電線を剥き出しにして腹側と背側に固定してタイマーで電圧がかかるようにしている写真を自ら撮影して友人へSNS祖通じて送付したところ、友人より警察へ通報となった。

治療経過

同日に東京都立XX総合医療センターへ緊急措置入院となり、令和2年1月25日に当院へ措置入院となった。入院時は落ち着いた口調で対応しており隔離のみの対応とした。漠然とした虚無感が持続していたが衝動行為には至らずに経過しており、同年1月29日に隔離解除とした。診察時には疎通性は保たれており以前からの家族関係の葛藤を述べることが多く家庭環境などが病状に関係している印象であった。薬物療法は情動は安定して不安感も目立っておらずフルニトラゼパム2mgを使用して睡眠評価は概ね良好である。

現在の処方

今回、令和2年2月26日に措置解除となり、同日自宅退院となった。つきましては退院後の継続加療について貴院を希望されておりますのでご多忙後は存じますが対応の宜しくお願い致します。今後は御本人の希望としては独立を希望されており生活保護担当者や地域保健師などとも相談するように伝えています。

【生活歴】同法2名中第1子長男として出産。異父兄弟<妹:9歳>ガイル。実父は経営者であったが不倫関係である入籍はせず母親と二人暮らしをしていたが3歳字に実父が暴行・違法薬物などで逮捕されて、つくば市児童養護施設へ入所。小学校3年生時に母親に引き取られて江戸川区で同居。その後、母親が再婚するが家庭内暴力があり約半年間でリカオン。以降は母親と妹と3人暮らしとなっていた。公立中学へ進学したが成績は優秀であった。高校へ進学して生徒会長を務めて、特進クラスに在籍するなど優秀であったが高校2年時に留年している。奨学金を希望してアメリカの大学を受験したが不合格であった。現在は高校3年生であり、令和2年3月に卒業予定となっている。

<退院時処方内容>

フルニトラゼパム<2>1錠/1x就寝前

ワイパックス<0.5>1錠/1x不安時頓服

③診療情報提供書 武将先生

診断名 双極性感情障害

【生活歴】 別紙ご参照ください

【病歴】 上に同じ

【合併症】 特記すべき事項なし

【医療的所見】

内因性のみならず家族との葛藤による情動不安定や愛着の障害も想定されている。躁状態になるとか活動になり目的指向性の活動<奨学金な留学など>が多くなりがちであらう。また、抑うつ状態になると不眠が増悪しアームカットなどの自傷行為がある。感電自殺装置を作成し友人に自殺予告の連絡を送ったり、液体のりを好奇心で飲む自傷行為での入院歴がある。2020年2月26日退院後は自傷行為はみられていない。家族との喧騒から逃れるた為に夜間散歩に出ることが多い。不隠時は頓服薬の使用を指導している。家庭に刺激を受けないよう転居が必要だが、内因性気分障害もあり独居は困難。グループホームが適する。

通院日2週に1回水曜日 服薬 朝 夕 寝前 頓服

【本人のグループホームでの課題】

生活リズムの安定、居場所づくり

グループホームへの要望など】

安心できる環境作り

【入居後に必要な配慮】

本人は母と妹の不和に刺激を受けやすく、また①の逮捕などのため愛着形成にも障害がある。安心できる環境づくりが重要。


客観的にみた自分がどのようなものなのかって結構おもしろい。他人の評価を気にするとかではなくて、単純にどんなふうに認識されているのか。自分の知らなかった自分像も見えるから興味深いね。度々出てくるSNS上に写真を送るっていうのは通報しないという期待があったからなのだけどなぁ。結局通報されましたな笑。時系列がおかしくなっていたり、私の経験と若干の差があったりするけれど、そんなものなのかもね。受け取り手だって万能じゃないわけだし。WAISは抑うつでかなり低く出てるんよなぁ。それにメンサン先生は全検査125って言ってたぞ?謎い。いつか機会があればリベンジしたいね。では。

このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった。餌<コメント、いいね>がほしい。サカナたちが喜ぶ。