アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

夢、ゆめ、ユメ、夢うつつ。

いやー、寒い。手がかじかんで、遅いタイピングがますます遅くなる。昨晩のくすりを飲み忘れた影響もあるのかな、手が震えてうまく打てない。誤字が増えるかも。かんにんね。

今日は1日ずっと夢を見ていた。夜のくすりを飲み忘れたときにありがちな行動として、次の日まで飲まないでそのまま過ごしてしまうというのがある。すると当然眠れない。浅い眠りに落ちて夢を見るのにも数時間かかる。今日なんて寒かったからなおさらだ。ガタガタ震えながら頭の中に流れる英文を読んでみたり、奇妙な状況下で英語を話すシミュレーションを始めたりする。終いには英語と日本語、エスペラントがごっちゃになって、頭の中が混沌とする。ヌトっとしてとらえどころのない状態になって、どうしようももなくなる。夢だったのかもしれない。これが朝5時位。その後は日が出て暖かくなるにつれて幻想的で不可思議な色とりどりの夢を見た。面白いものだから何度も寝直して夢を見直す。少しづつ変化する奇妙な夢は記憶に残らない。それでも一時の面白おかしさを求めて眠り続けた。夢を見続けるものだから脳は当然休まっていないだろう。まさに睡眠剤を抜いた次の日と言った感じ。そうして私は布団の上に20時間くらい横たわり続けた。

夢というのは不思議なもので現実との境がうまく隠されている。夢の中で「夢かな?」と疑い始めると、途端に現実のような気がしてくる。ものの輪郭ははっきりして、話している内容は色濃く伝わってくるんだ。そしてあまりにも情報量が多くなって、これはどうも現実らしいと思い始めると今度は輪郭がぼやけて色彩豊かになる。現と夢とを行ったり来たり。脳のリズムにあわせて私も踊る。結局はくすりがないこと、睡眠が足りないことが見せる一瞬の鮮やかさ。これに操られる私は無力な傍観者。夢の中でそれが夢であることに気がついたとしてもなんにもならない。汽車に乗っているのか電車に乗っているのかがわかるだけ。行き先なんてわからなくて今どこにいるかも結局の所わからない。

「今日は朝の来訪が早い」なんて冗談めかして言っていたのは朝の6時。朝の来る希望とかって言葉遊びを始めたのが朝5時半。時間が逆戻りした。今日はなんてリアルな夢を見ているのだろう。木材とプラスチックと鋼鉄と。まぜこぜにしていたのはきっと夢。夢の気分が抜けないで、タイピングしている私は現実だ。

夢の中って刺激が少ない。あふれるイメージと流れる言葉に溺れるけれど、それらはすべすべなめらかでどぷんどぷんと私を埋める。藁にすがろうにもそんなに固いものは持ち込めないみたい。ただ上に、ただ下に。流されて、流されて。頭になにか引っかかるような言葉が出てきたら、きっとそれは現実に傾き始めるサイン。仕事、ついった、ゴミ掃除。これらは私を上に引っ張る。さぼてん、なないろ、さるーとん。これらは私を深みに埋める。たのしい。たのしいね。こうして言葉を並べている私。ゆめかうつつかわからない。

きっとうつつのなかで、夢が濃いところを探しているのね。


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