アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

冬。活動量が減っていく。

日付けだけ見るとまだ秋なのだが、今年は寒暖の差が激しくて寒い日は本当に寒い。エアコンを使うか迷うレベルだ<グループホームでストーブや火の仕様は禁止されている>。机上の温度計付きの電波時計は役に立たない。いつも20℃以上を示している。実際の気温は確実に下がっていて窓際で作業する手先や足先は冷たくなる。深夜となればなおさらだ。今は高校時代のジャージを着て震えながら文章を打っている。この震えが薬によるものなのか寒さのものなのかを私は知らない。きっと両方なのだと思う。

毎年この時期になると気分が少し落ち込んでくる。1年間の中で起きる気分のサイクルがそうさせるのだと思う。毎年春に落ち込み、それを乗り切ると活動的になる。それがこの時期になると落ち着いて、やや鬱々とした気分になってくる。冬は嫌いではないし、むしろ好きだ。頭や体が冷えるのは気持ちがいいし、鬱々とするからなのか、ものを考えている気分になれる。ただ、活動が徐々に少なくなっていき寝込みがちになるは良いことではないかもしれない。今年はこれの対応策として母校での仕事を入れているが、うまく働いてくれるだろうか。毎年同じことを繰り返す私ではない。

この症状は気分の落ち込みではなく活動量が減っていくことから始まる。活動量が減るのがきっかけなのか、食事がなにかをきっかけに減ることで活動量が減っていくのかはわからない。ここ数日で食事の量はぐっと減っているし、活動量も仕事が急遽休みになったために減っている。もしかしたらこの両方の条件に当てはまるときに気分が鬱々としてくるのかもしれない。

活動しないで寝込みがちになるとブログに書くことが思いつかなくなっていく。書くということは呼吸をするようなもので情報のインプットがあってこそ成り立つ。インプットする情報が減ると文章を書くのも難しくなっていく。過去にインプットした内容をこねくり回したり考えなおすことで記事を書くことはできるが、新しい見方であったり情報を提供する事ができなくて書き手としてはなんだか残念な気持ちになる。実は冬は活動量が減るかわりに感覚が少し過敏になる。これが私が冬が好きな理由だ。普段は気付かないことに気付けるし、それについて考えを巡らせることができる。ただ、最近は寝てばかりいて頭も動かしていないから本当になにも出来ていない。認知能力が最大になる20代を前にして何をしているのだろうか。もう少し勉強したいものだ。

いまは夜3時。深夜に悠長に文章を書けているのは今日が土曜日だからだ。なにかしたわけでも明日なにかあるわけでもない。この時間の感覚が私を深い夜に導いてくれる。今日は勉強もしなかったな。少しKindleで本を読んだくらいだ。小説。他人の作り出す文章がそこに詰まっているかと思うとゾクゾクする。ビジネス書なんかの文は同じようなものになりがちだけど、小説は違う。展開の仕方や表情が書き手によってぜんぜん変わる。それらを完璧に読み取れるなどという慢心はしていないが、英語と中国語を聞き分けるくらいの程度でなら読み取れる。面白いものは取り入れたいなと思いながらいつも読んでいる。

今は特に書くこともないけれど、キーボードを叩いている。今日書きたかったことはせいぜいが「冬って気分が落ち込みがちなんだよね」ってことくらいだ。それでも書くのはどうしてか。文章を書くことのリハビリをしたいからだ。毎日文章を書かないときれいな文を書く感覚を忘れそうになる。やたらと受動態が入ったり代名詞が増えたり。このミスを減らすように気をつけようと毎回思っているものの1日でも間隔が開くとミスは増える。文章は毎日書きたい。1日の終りに思っていることを吐き出すとスッキリするし、「おやすみ」としてしまうときも30分くらいは時間を取っては感じたことを吐き出したらどうかなと思う。1日の気づきをまとめる意味でも面白そうだ。読者には迷惑かもしれないが、あらかじめことわってそうする分には構わないだろう。そうしよう。


30分で考えたこと。散文注意

では書いていこうか。そもそも30分で何かを考えてそれを文章におこそうという行動は生産的なのかわからないな。タイピングゲームみたいだなと思う。構成を作れないと支離滅裂な文章が生まれることには間違いがない。今年のはじめに作った500の命題くらい意味のない行動になってしまいそうな気がしている。何を書くにしてもテーマはあらかじめ決めておいたほうが良いのかな。ここで書くのはブログより崩れていて、でもついったよりはかしこまっているそんな文章が良い。

それじゃあ、最近の生活について書いていこうか。これはブログの記事にするには物足りなくて書かなかった内容だ。最近生活圏がどんどん狭くなってきている。生活に慣れてきたのもあるのか必要最低限のところしか行かない。買い物も1度まとめて買ったらその後5日は行かなくて良いように食生活を変えたのもあって、自発的に外に出ることが減ってしまった。

朝食と昼食は全く外に出ないということを防ぐために未然に「ラジオ体操→コンビニでチョコレートバーの購入」をルール化していたけれど、台風が近づいて来るときの雨でラジオ体操はだめになった。そして、低気圧で朝が遅くなったのをこじらせて再度夜型の生活に逆戻り。今に至ると言った感じ。もうすぐ4時だ。深夜型の生活。何をするわけでもない。ブログを書きながら、「あーあ、シャワー浴びなきゃな」とか、「洗濯物を干すのを忘れてた」だの考えたりするだけだ。勉強しなさい、私。

この深夜型の生活を許されているのは今週だけだ。今週はテスト週間だそうで、サポートティーチャーはお休みになった。そのせいもあって、生活リズムを崩すことが出来ている。いつもなら月水金に13時50分くらいには家を出なければならないという制限があるが、今週は無い。いつまでも寝ることができるわけだ。季節の変わり目、上に書いたような気分の変化もあって日中活動はほとんどできなくなっている。深夜に活動することがそれを助長する。深夜に活動すればその分日中活動できなくなるのは当たり前だな。ある程度の時間効く強い睡眠剤を飲んでいるのだから。

深夜型の生活リズムを脱するために何ができるか考えると結局は薬を飲む時間を固定することに行き着く。私の生活はすでに薬様の言う通りになっている。少し前までは薬をコントロールできている気になっていたが今はてんでダメ。眠剤を抜くことで生活リズムを調整しようとしてももう以前ほどはうまく行かなくなっている。眠剤を抜いたその次の日にイライラ感が出たりアカシジアが出たりするのだ。少しだけショック。武将に「薬を飲んだら別人になるような気がして怖いんです」なんて言っていたもりきよはもういなくて、薬に頼りっきりのもりきよがいるだけだ。

ただ、やるべきことがわかっているなら話が早い。それを実行すればいい。しかし今の私はできていない。なんでか?今日できなかった仕事を明日に持ち越すのが怖いからだ。今日できなかったことを明日に持ち越してできるのかが不安でしょうがない。変なところで臆病なのだなと思う。今日も22時10分の薬タイマーを無視して今文章を書いているわけで、漠然とした不安感が私を眠りから遠ざけている。眠剤を飲んでしまえばあとは寝るだけなのに、そして目覚める時間は大体わかっているというのに「明日、もしおきれなかったら」なんてかんがえたりして、明日本当に起きれなくなる時間まで起きてしまうのだ。

雨でも朝きちんと起きれる方法を考えないといけないね。何ができるかなぁ。散歩?良いね。でもどこに行くの?川。遠いよ。駅、スーパー。朝の早い時間には開いていないし意味が見いだせない。なにか良いところがないかなぁ。雨の日の目覚め方。最近の悩みです。これさえ決まれば日常を回していけるに違いない。

時間だ。ではこれで。


このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった。餌<コメント、いいね>がほしい。サカナたちが喜ぶ。