アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

漠然とした不安を打ち砕く挑戦。人生楽しく挑戦、挑戦

今は午前4時50分。普通なら起きていてはいけない時刻だ。禁止されているわけではないのだが、グループホーム世話人さんや下の階の人から「夜中に起きられていると生活音が騒音になる」という声が上がっているらしいのだ。なんでも下の階の人は聴覚過敏だとか。上の階の人が歩くだけでギシギシ音がするような家で深夜起きていれば、まあ騒音になりますわな。これが続くと厳重注意された後に追い出される可能性があるので早いうちに早寝早起きの習慣をつけておきたい。

それではなぜ今日は起きているのか。昨晩夜ふかししたからだ。昨日は『ノーゲーム・ノーライフ』を6時位まで読んでいた。ひさしぶりのラノベ。ちょっとハマってしまった。その後眠剤を飲んで目を覚ましたのが20時。その後も二度寝して22時10分の寝る前のルーティンを報せるアラームで目を覚ましたというわけだ。その後すぐに薬を飲んで寝てしまえばよかったのだが、夕食を摂ったりキャスを聞いていたりしたら遅い時間になっていた。こういうシチュエーションのときの行動を前もって考えて置かなかったのが原因だ。まずは早寝早起きをすること、そしてこういう事が万一起きたときはすぐに薬を飲んで寝てしまうことを徹底したい。

日中活動できなくて深夜起きているだけとなると活動の時間が限られるだけでなく種類も限られてくる。昼間はスーパーや百均、スポーツセンターなどの施設が営業しているが、夜間は閉まる。日中選択的に勉強するのと違って、夜の勉強は少し受動的になる。というのも洗濯などの家事が騒音への配慮からできなくなり、「勉強しかやることがない」という状況になるからだ。私は飽き性な部分があるから、気晴らしに家事をしたりする。それが出来ない夜間の勉強は効率が下がる。

今、私は漠然とした不安を抱いている。これは常日頃から持っているものだ。将来への不安、生活への不安、自分が変化できないのではないかという不安。様々な不安がまぜこぜになってうまく言語化出来ない。このような不安は、日中何も出来なかった日の夜に特に強くなる。きっと自分が成長できないのが恐ろしくなるのだと思う。その不安にかられて夜に勉強したりするのだ。そして結局は次の日もだめになってしまったりする。

反面、この不安は日中弱まる。不安に対しての具体的な解決案を考えたらすぐに実行できるからだと思う。不安とワクワク感は表裏一体なのだろう。日中、生活をより良いものにしようと活動しているときには、不安なんて無視できるくらい弱くなってワクワクしながら色々なことに挑戦できる。挑戦中は成長したあとの自分を思い描いて興奮する。挑戦は生活をどのようにして、より良いもの、楽しめるものにしようかと考えることから始まる。自分の将来像を思い描き、それに向けたプランを考える作業は最高に楽しい瞬間のひとつだ。

挑戦できることは身の回りにたくさんある。私を例えに出してみれば、受験だったり、瞑想や運動など新しい習慣の導入だったり、小説を書くことだったり様々だ。日常を過ごす上では見過ごしがちだが、世の中は挑戦に満ちている。それを探せるかどうかはその人次第だ。

ではどうすれば挑戦を探し、自分の挑戦と捉え、挑戦することができるのか。一番簡単なのは身の回りの問題を探すことだ。例えば、あなたは社会人になってから運動する機会が減ってしまい健康のことを気にしているかもしれない。または、仕事において上司から「あなたのアイデアには意外性がない」と言われて悩んでいるかもしれない。挑戦というと少し大げさな気がするが、問題を発見して解決していくこと。これもひとつの挑戦だと思う。等身大の悩みは一番手っ取り早く挑戦を探す手段だ。いま、何に困っているかを考えてみよう。

「身の回りのことはうまくいっていて特に不満は無い」という方は次のステップに進もう。一応ここで断っておくが、これはあくまで「別に挑戦なんてしなくてもいいし、日常に刺激なんていらない」という人向けの話ではない。「どんなときでも日常に負荷をかけて、刺激の多い人生を送りたいよね」と考える人用の話だ。前者の考えの人は「ほーん、もりきよはそう考えるのだな」と思って先を読んでもらえると嬉しい。

次のステップは視点を自分のものからジャンプさせて他者の景色を見せてもらうというものだ。今の世の中、少し検索したりSNSで周りを見るとすごい人と簡単に繋がれることに気がつくと思う。東大生、海外大生、起業家、作曲家、文筆家......etc。彼らに関する記事を読んだり、TLを追ったりすると自分の知らなかった挑戦に気がつく。ひとつひとつは専門的なものだったり、自分のレベルに合わないもので、受け入れにくいかもしれない。けれど、長く眺めているうちに自分でも関与できそうな問題を見つけることができる。例えば、英語がめちゃくちゃできる海外大生が日本人の英語力を高めるために単語帳を作って販売しているとしよう。当然、そのプロジェクトに直接関わることは出来ないかもしれない。でも、その活動を見て「英語力を高めたいな」とモチベーションを得て英検の勉強を始める......なんてことはできる。例えば、IQの高い人同士の会話を見て面白いなと思ったとする。このとき、彼らほどの記録が残せるかはわからないが、ハイレンジのIQテストに挑戦するということはできる。

このときに必要なのはちょっとした図々しさだと思う。他人の良いところを見て自分でもこのくらいはできるだろうと無鉄砲に突っ込む。自分の実力を少し多めに見積もってしまっていても問題ない。「私にはその実力がある」と多少なりとも思い込まないと挑戦なんてやってられないだろう。少し私の話をしよう。今年、私は「坊っちゃん大賞」というショートショートの大賞に申し込んだ。小説なんて書いたことなかったけれど、深夜のくすりを飲んだあとの大胆なテンションで「小説書きます」とツイートしたことと、高校で松山に修学旅行に行ったことでこの挑戦をすることになった。正直、小説を書く大変さをなめていた。どのくらいなめていたかというと「大賞をとっても生活保護のおかげで賞金が10分の1くらいになるな」と皮算用するくらいにはなめていた。結局書いているうちに「小説書くのきっついわ」と考えを改めることになるのだが、いい経験にはなった。現実なんて後で知るハメになるのだから、はじめは図々しくポジティブに。挑戦するためのコツだ。

この、他人からインスピレーションを得て挑戦するものを探すときに、「他人との比較ってあんまり良くないんじゃないの」という考えが浮かぶかもしれない。私は問題ないと思う。なぜなら、このときにする必要があるのは比較ではなく面白そうなジャンル探しだからだ。あなたの人生の主人公はあくまであなた。それを楽しくするためのオモチャ探しをしているだけなのだから、他者と比較してあなたに劣っているところがあったとしても何ら問題はない。そもそも、あらゆる分野でトップを目指すのは難しい。というか無理だ。類稀なる才能でいくつかの分野で頭角を現す人はいる。だけど、それはレアケースだと頭に入れておこう。少なくとも私にはそんな才能は無い。挑戦するものを探すときは、人はあくまでコンテンツの配信者だと考えよう。少なくとも彼らは配信者で、敵ではない。もしかしたら協力者になるかもしれない。あなたはそれを自由に見ることのできる閲覧者だ。世界を救えなくても全く問題ない。ワクワクすることで人生を豊かにしていけばよいではないか。

この方法で好奇心の赴くままに色々なことに挑戦していくと「色んな分野に精通しているけど能力は中途半端な人」ができやすいと思う。いわゆる器用貧乏だ。ひとつの分野で挑戦し続けていれば「専門家」だったり「第一人者」、「パイオニア的存在」になれるだろう。でも、少なくとも私は飽きっぽい。10,000時間の法則や1,000時間の法則なんてものもあるけれどそれより前に学習性無力感が来るのが常。実際に物事を動かす前に飽きてしまうなんてこともある。

でも、これが問題かといえばそうではない。別にキャリアアップのための勉強をしているわけではなくて趣味で「挑戦」しているだけなのだ。楽しみながら進んで器用貧乏になればいいと思う。無駄なことを学んで後に活かせる場面はきっとある。スティーブ・ジョブズのカリグラフィーが有名だが、彼が自分のヒーローだと言っていたポロライド社のエドウィン・ランドも示唆深い言葉を残している。「文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある」。これは何も革新的なことをしたい人だけではない、多くの人に知ってもらいたい言葉のひとつだ。

器用貧乏な人が実際にどんな職種で働いているのかを私は知らない。けど、生活保護で年収約230万程度の水準の生活をしていても案外生活は回る。少しづつ挑戦する余裕もある。これに仕事が入ったら余裕はなくなってくるのかな。両立できる、挑戦し続けられる仕事を見つけられたら良いなと思う。むしろ、そういう仕事を作る挑戦に取り組むのもありかもしれない。

挑戦するって、楽しいね。


このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった。餌<コメント、いいね>がほしい。サカナたちが喜ぶ。