アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

夢とあそぶ

夢と遊んだことはあるだろうか。夢というのは将来の夢とかの文脈で使われるものではなくて、昨日の夢とかで使う方の夢だ。夢と遊ぶというとちょっと変なやつだと思われるかもしれない。夢に自意識はないのだからおかしいとそういうことだ。私にとって夢は何を考えているのかわからない相手という感じで現実の人間とそんなに変わらないのだが、気に入らないなら夢で遊ぶと言おう。夢を見ながら自分で介入して、夢の内容を少し歪ませたり方向転換する。こういうことをしたことがあるだろうか。明晰夢の少し向こう側。そんな感じ。

今日は1日のほとんどを寝て過ごした。理由は夢が遊びに来てくれたからだ。おそらく日中の活動時間は3時間もなかったとおもう。

日中はグループホーム世話人さんからの支援と訪問看護があったがほとんど覚えていない。支援では今後の目標の明確化をして、家計簿アプリの使いかたを習った気がする。訪看については血圧と体温を測った以外何を話したのか記憶にない。この理由は眠気で頭がぼんやりしていたからだろう。

これらの支援と買い出し&夕食で3時間ほど。その後また数時間寝て、シャワーを浴びDuolingoと散歩をして今に至る。客観的に見れば残念すぎる時間の過ごし方だ。でも案外私は満足している。

そもそもどうしてこんな事になったのか。それは前日疲れていたことと、眠剤を飲む時間をずらしてしまったことにあると思う。眠剤をいつも飲む時間から6時間ほど遅れて飲んだために日中まで眠気を引きずってしまったのだ。これが夢を導いてくれた。というのも、普段の使いかたではストンと眠りに落とされ夢を見ることはほとんどない。たまに二度寝したときに鮮やかな夢を見れるくらいだ。だが、今日はある程度濃度が薄いが、眠い時間帯が日中に来た。その眠気に乗ってみるといつもよりも浅い眠り、夢を見られる眠りが訪れた。

夢と遊ぶのはとても楽しい。はじめは相手が提示するものをただ眺めている。しかし、そのうち夢の中の私の意識がはっきりしてくる。この感覚を言葉で説明するのは難しいが、「呼吸に意識を集中しているときに眠れなくなる状態」の裏側と表現するのが一番的確かなと思う。催眠音声を聞いたときの感覚に近くないこともない。この感覚を保ったまま、夢に質問する。あそこはどうなっているのか。〇〇の場合はどうか。そうすると少し像を歪めてくれる。このやり方にはいくつか方法があるようでスピード感を変えたり、新しい登場人物を作ったりが含まれる。もともと文字通り夢見心地で見ているものが、自分の意識で様変わりしていくのは面白い。

ただ、このコントロールのしかたは難しい。案外夢の中の意識を保つというのは難しいものだ。今日もプレゼンされる夢の中で質問を繰り返していると、急に意識がクリアになって目が覚めてしまった。夢の意識は結構危ういところにあるものらしい。インタラクティブな夢と遊ぶには環境と意識の両方が必要で、それが偶然に揃うのはかなり珍しいことだといて良いと思う。それが今日訪れたのだ。思う存分遊んでしまった私の気持ちが少しは分かってもらえただろうか。

夢と遊ぶ方法に簡単なものには眠剤を抜くというものがある。眠りが浅くなって自然と遊びやすくなる。ただ、この方法はあまり良いものではない。日中に手が震えることが少なくないからだ。遊び過ぎは良くない。バランスが大事なのだとここでも諭されている気持ちになる。まあ、今日は睡眠サイクルの調整のために眠剤を抜くつもりでいるのだが。遊び倒す気満々である。

ただ、こういった「あそび」は対して生産的でないことは忘れてはならない。SSの題材が降ってくる声と違って、夢は時間経過でどんどん忘れていく。書き出さなければ本当にお遊びに過ぎないのだ。それならば、将来の夢という文脈で話される夢と遊ぶほうが生産的でよいだろう。私はまだその方法を確立していないが、現実を変えていくという行為が将来につながったときにその感覚は生まれるのだろうと予想している。

ゆくゆくは2つの夢と自由に遊べるようになりたいものだ。


このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった。餌<コメント、いいね>がほしい。サカナたちが喜ぶ。