アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

問いきよ。私の思考のプロセスについて

私はどのようにして考えているのだろう。ニューロンの発火?脳のリズム?。これらは思考がどこから来ているのかを科学的に説明しようとする言葉達。私が知りたいのはUIであってどのようにすれば楽に使え、最大出力を出せるかということ。脳の主体的に使える部分の使用法だ。

今までモノの考え方を習ったことがある人は果たしているのだろうか。マインドマッピングは過去や経験に指向性をつけて出力させるツールだ。考えることとは少し違うと思う。比較して考えるときにだって、何に比重を置くべきかは考えるときに無意識に決めているのではないか。○○のとき生存を60%上乗せで考えるとか、そういうことを習ったことはない。今回ははじめに自分の典型的な思考をトレースしてその後、帰納的に自分の思考プロセスについて理解を深めようと思う。

サンプル 思考力について<ノイズは除いてます>

思考力。思考力が高い人というのはどのような人だろう。一般に言われるのは「〇〇手先まで読む」といったような、因果関係・利害関係から未来を予測する能力に長けている人のような気がする。また、〇〇手先といったような一点で深く捉える思考力もあれば、「△△種類の未来」のように様々な要素を統合していくつもの可能性を捉える思考力もあるだろう。思考力は後天的に身につくものだろうなと思う。

扱い方もいくつかある気がしてならない。私が普段やるようにある程度の飛躍を許してあとから埋めるもの、飛躍を許さず石を積見上げるようなもの。漠然としたものをいじっていたら形になってくるということもあるかもしれない。

漠然としたものをいじるとはどんな感覚なのだろうか。サヴァン症候群のなぜかわからないが300年後の日付がわかるというそれかもしれない。これに関しては論理的でないから超論理的思考力としよう。思考力は高ければ未来予報ができる。

思考力が上がった結果得た未来予報なのか、未来予報をするためにデザインされた思考力なのか。自我はエピソード記憶を作るために発生したという本を読んだ。関連するだろうか。

思考力はどんなときに最も発揮されるか。試験のとき?問いを発するとき?私の場合はふと現実から自意識がずれたとき。頭の中の書籍を読んでいるような気分になる。

今までの考えるプロセスの言語化に挑戦

昆虫的振る舞い→物事に対して奇妙さを覚えるor考える必要性を感じる→「考える自分」になる

普段私が生活を送っているときは基本的に昆虫的振る舞いをしている。本を読んだり食事を食べたり散歩をしたりするとき、何も変化がなければそれをただ受け入れる。そしてそれら刺激に対して反射している。このとき私は少なくとも複雑なことは一切考えていない。頭にあるのはせいぜいが感謝の気持や、体の感覚くらい。これがなにかをきっかけに、離人感や奇妙さを覚えたり、考えるお題を与えられると「考える自分」になる。このときの私は必要性を感じなければ意図的にものを見ないよう。心のなかで連想ゲームに似たランダムな言語の羅列が出てくる。場合によっては概念を引っ張ってきて、本を引用することもある。指向性や粗さを調整しようとすればできる。目のピントは合わず、ボーッとした感じになる。目をつぶると流れる言葉の量が減る。

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頭の中でつなぐときの感覚はこんなかんじ

問いを発する。比較、過去、未来、利用

考える対象に関係しそうな言葉が出てきたときや、面白そうな言葉が複数出てきたら質問を発する。上のサンプルでも思考力が高い人はどのようなものかとかが出ている。主に比較、過去、未来、利用に関する質問が出やすいように思う。つまり以下のような質問。〇〇と同じ原理が働くか/紀元はなんだろうか/この先どのようになるか/どのようなことに使えるか。「どうしたらいいか」や「なぜ〇〇なのか」という問いはここでは出てこない。「なぜ〇〇なのか」ははじめに違和感をおぼえるとき、問いのきっかけになる。「どうしたらいいか」は何かをやろうと意思決定した後に発する。

答えが勝手に出る。<質問の変換。システム1>

作成した問には何故かすぐに答えがつく。おそらく『ファスト&スロー』で言うところのシステム1の仕業だ。直感で、或いは問題自体を別のものに変えてしまって<私は〇〇が好きか?など>、即座に答えてしまう。納得できることもあればそうでなくて自分自身を攻撃して新たな答えを取ることもある。

終わるor更に問を発する&終わる

ほかの問を発したり、出た答えに対して更に問を発したりする。調べ物で済むレベルまで落とし込めたらメモに検索事項として移す。

その他

声に出して討論するかのように話すことはある。討論の攻撃手段は質問だが、上のプロセスと比較して出た答えに対して否定的になりがち。

こんな人がいる......?

のび太型:「ははぁ、〇〇なんだな」何かを見て納得し心のなかで実況する。私はない。 ドライもん型:「僕は君のことを温かい目で見守ろうとしよう」自分の決定を心の中で実況する


私は問いを作って出てきた直感的な答えを更に問いで修正していくのだなと気がついた。考えるのに向いた思考のプロセスはなんだろう。模索してみたい。そのためにあなたの思考のプロセスも教えてほしいな。このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった