アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

道行く人に殺された話

普段会話していて、殺されたことのある人と話すことなんて稀だろう。少し思い出してみてほしい。「私さっき殺されちゃった」なんて言っていた人は見つかっただろうか。いないといいなと私は思う。いるとしたら誰だろうか、今は亡くなった方の遺言にそう書いてあったら、殺されたことのある人と<一方的な>コミュニケーションをしたことがあると言っても良い気がする。こう言っても殺されたことのある人と話したことのある人は少ないものだと思う。私も遺言越しのコミュニケーションしか経験がない。

しかし、こう言ったらどうだろうか。「私は今日殺されてきた」。信じられるだろうか。それは突然だった。いつもどおり公民館で本を読んでいた私は、帰りに本屋に寄ろうと思ってイトーヨーカドーに足を運ぶことにした。その道中でこの奇妙な体験をした。ふたりの印象的な人とすれ違ったのだ。ひとりめは少し背の低いずんぐりとした体型の男性だ。すれ違いざまに「じゃまだ」なのか「死ね」なのか「イケメン」なのかよくわからないことを大声で伝えてきた。驚きのせいで何を言っているのかわからなかったが、2,3語ほど怒鳴ったら私の背後に消えていった。これだけでも話のネタにはなりそうである。ただ、問題はこのあとにあった。ショッピングプレイスの駐車場を出たところに身長の高い、くせっ毛のサッカー選手みたいな人がいた。10メートルほどの距離に近づいたとき、サイドバッグから刃物を取り出して私の胸に横向きに突き刺してきた。意味がわからなかった。刺されて数秒後に「あ、夢だな」と思い、彼とすれ違ったところから20メートルほど先を歩いているのを確認した。振り返ったら彼と目があった。

私は空想にふけることは少ない。常に何かを読んでいるか、何かを書いているか。あるいは何をするかの計画を立てたり、自分や周囲の観察をしている。くすりを飲まなかったときに夢をたくさん見ることはある。そして夢に飲み込まれる感覚になることも度々ある。今日、殺されたときの感覚はこれに似ていた。昨日薬を飲まなかったこと、直前にわけのわからないことを言う男とすれ違っていたことが、この白昼夢に繋がっていたのだろうと今なら分析もできる。ただ、その後道で再現できないか試しても完璧にすべての意識を空想に引き渡すことはできなかった。

こんなふうに入ってしまえる空想を生み出せたのは初めてのことだ。頭の中でモヤモヤと想像力をコネコネする感覚とは違う、まさに見ているような感覚。いろいろな人が体験しているであろうそれを私も体験できたことが嬉しかった。生き生きとした想像とでも言うのだろうか。これが薬によって生み出されたものなのか、私に眠っていた感覚が発現したのかはわからない。だが、これを今後うまく使って行けたら良いなと思う。幻覚デビューなのだろうか。これから統合失調症へ......? そうでないことを祈る。勝手に人殺しにしてしまったサッカー選手似の彼には申し訳ないことをした。

追記。この体験をしたことで沢山の自分が毎秒死んでいる気がしてきた。感覚に登ってこないものの、そのような捉え方もできてしまうのだと思う。余計なところにリソースを割かないのも知能。難しいけど無視できるようになりたい。

このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった