アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

私はふつうの人なの?

自分が普通であると宣言していいことってあんまり無い。今まで普通とか考えないで接してくれていた人に疑問を抱かせてむしろ変に思われるとか、受け入れられても「普通」はさして安定感のあるものでもないから得られる恩恵は多くない。

適当に人間を引っ張り出してきて人生を比較する。完全に一致するということはないだろうが大体の傾向は把握できる。レアな経験がどんなものなのかとか、そういうことはわかるだろう。多く見られる出来事やシチュエーション、これが普通なのだと私は思っている。しかしこれは母集団によって大きく変わる基準。寄りかかるにはやはり頼りない。

自分と同じように考える人は多いという錯覚は広く知られている。認知バイアスのひとつだ。どうしても「自分は普通だ」と言ってしまいそうになる。これはわかる。私ももしかしたらこのバイアスの被害者なのかもしれない。私のついったのBioの1文目は「ふつうの人」だ。これはしばらく変えるつもりはない。私の「変」は経験に集約されていて、判断などは普通だと思っているからだ。

私の変な経験を少し紹介しよう。全部は書き出すことはできない。想起するのに苦労するからだ。これまでも私の過去については何度か話したことがあると思う。それも、もう一度確認しておこうと思う。時系列順がいいかな。では行こう。犯罪者の父のもと生まれた<父は今も塀の向こう側にいる>。母からの虐待を通報され児童養護施設に入れられた。そして5年ほど経ったときに何故かもとの家に戻ることができた。施設内では知能テストなどで高いスコアを出した人らが集められる「三つ葉」という共同生活型のGHみたいな所に移されていた。幼少期から知能は低くなかったようだ。今でもその傾向は残っているらしい。ちなみに最初に記憶は2歳位のもの。その後母が再婚、妹ができる。妹の父親はDVが激しかった。母の虐待癖は特に治らず。家庭環境は良くなかった。妹が生まれてから1年やそこらで離婚。小6の時点で引っ越し回数が8回とかだった。ときには地域性に馴染めずいじめられていたこともあったらしい。あったらしいというのは後から言われて気がついたということで、当時はそんなに気にしていなかったからこう書かせてもらった。中学高校と良い成績で卒業する。夏休みのポスターとかでいろいろな賞をとったり。ひとつのことに打ち込むと言うよりは色々なことをやってみるという感じだった。中学生でも生徒会活動をしていたが高校では本格的にやる。会長も務めた。高校生が参加できるイベントに興味を持ち始めて、高2から行き始める。高校生から23人位しか選ばれないベトナム研修に参加したり、地域振興のイベントで賞をもらったり、京大で講義を受けたりした。しかし様々なイベントで充実する反面メンタルのケアはできていなかった。検査入院と称して2週間入院。......の予定が3ヶ月に長引いて出席日数不足で留年した。2度目の高校2年生の夏にHLABのサマースクールに参加。金銭面の問題から国内大の受験を諦めて奨学金を利用した米国大入学を考え始めたのもこの頃。今思うと少し遅かった。結局間に合わなくて今の私がいる。奨学金の団体に出す書類は自己分析させるものが多かった。いくつも申し込んでいたが落選、最後の方は投げやりになってしまっていた。そんなこんなで自殺念慮。いろいろな要因はあったけれどここであえて説明するということはしない。ノリを飲んだのもこの時期か。友人にメッセージを送って<こういうところのツメが甘い>いざ決行だと思ったら<感電装置のタイマーをかけて寝ていた>、家に警察官。措置入院することになった。入院・転院をして、家庭環境の悪さ、経済的困窮、私の治療の目線から言って、世帯を分けて独立したほうが良いとの話になった。それでグループホームを探すことになる。今、この文章はグループホームで作っている。国の制度、地域のサービスのおかげで今の自分があるのだ。感謝したい。

まあ、稀有な体験をしてきたものだなと思う。ひとりひとり違う人生を歩んでいると考えても少しいろいろな要素を詰め込み過ぎではないかと思う。ただ、変な経験をしてきただけでその人が変な人だと考えるのは早計だと思う。その人が変かどうかというのは決断であったり考え方によると思うからだ。

私の経験の場合、自ら選べる場面は殆どなかった。ただ流されるままに生活していたらこれだ。米国大を目指すというのも、現在のように給付型奨学金の法案は通ってなかったから、最善のように思われる。何が言いたいかと言うと、私の変さは経験によるレアリティの高さであって、思考だったり能力が特別なものではないということだ。私を見た看護師の方に「<私が>まともすぎて怖い。普通ならもっとひねくれた性格になっていてもおかしくない」と言った人がいた。私の言いたいことを一言に集約してくれたと言える。私は入力がおかしいだけで、根は普通なのだ。根っこは普通、これが私。

ただ、この事情は最近は変わりつつある。私は世帯主になって、選択をしなければならない場面が増えてきた。何でも環境のせいにできるわけでは無い。最近では双極性障害という病気のせいにできるようになったが、これも万能ではない。皆、同じ選択をするよね?みたいな感覚から私ちょっとおかしいかも。でも、これって病気のせいだよね?みたいな感覚になっている。やっぱり私は変なのかもしれない。人口の数%が持つ脳の障害これを持っているのだから、変。やっぱり経験によるものじゃないか笑 

でも様々な選択を迫られる中でも自分を持ってキチンと判断できるようになりたいものだ。だって、「私がこの判断をしたのは✗✗という環境のせいです」って言い続ける人生、少しダサくない? まあ、抜け出せるかなんてのはわからないけれど抜け出したいなとは思う。

私を持ったまま行動できるのか。それって本当に私なのか。これはこれからも考えていかないといけない。変なのかそうじゃないのかわからないけど、自分は変じゃないと言い続ける少し変な私。そんな私ともこれからも仲良くしてくださいな。どうぞ、よろしく。


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