アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

マジック

またまたお題をいただいた。今回の言葉、「マジック」は色々と派生しやすい言葉を選んだとのこと。うーん。そういうのに限って難しかったりしませんかね? マジック、魔法、手品、マジックアワー。うーん。どれも決定打に欠けるな。何について書いていいのかがホントにわからない。マジックという単語を日常でほぼ使わないために経験値が少ない。何を書こうか。魔法かな。

今は科学技術の時代だ。錬金術だとか魔法だとかいうものはフィクションであると広く認知されている。それでも小さい頃の私は純粋無垢で、魔法がつかえたらななんて考えたものだった。誰しも一度は経験したことがあるだろう?<あってほしいと私は願うのだが>。箒にまたがって空を飛ぶところを夢想したり、手の届かないところにあるものをぱっと吸い寄せる場面を思い描いたり。そんな時間は案外楽しいものだった。本をガッツリ読む前だから小学校に入学する前のことだろうか。世界は実は魔法でできているなんてことを半ば本気で考えていた気がする。「結構夢想家だったのね」なんていわれそうだ。実際、「不思議ちゃんだね」とは数え切れないくらい言われた。ぼんやりと空を見ながら考え事をするのが好きだったからそういわれたのだと思う。今でもそういうことを考えるのか? 答えはノーだ。当然科学の知識が増えるにつれて魔法の付け入る隙のないことに小学校に入ってまもなく気がついた。そんな私が今魔法について文章を書いているのは少し滑稽に思う。どう何を書いたものか。いまいちまとまらない。これはあくまで私の持論ではあるが、火をおこしたり雷をおこしたりする魔法はないと思う。これらはあっても技術に取って代わられている。火ならマッチやライター。雷ならバンデグラフ発電機。などなど。

まだ技術が取って代わっていないものはなんだろう。人と人との出会い。これではないか。私は妙な人同士のつながりで今までうまくやってきた感覚が強い。ここに何か説明できないような縁のようなものを感じる。これが魔法なのでは? 世の中にはすべての値が平均値の人というのはごく稀にしかいない。たいていの場合、どこかでバランスが崩れている。当然といえば当然だ。この文章を書くわたしと読むあなたが違うといえるのはそういった、持っているものが違うからだ。そして、それは人間関係にもある程度影響を与えると思う。どんな風に影響を与えるのか詳しいところはわからない。類は友を呼ぶというのもこの影響のひとつと言えるだろう。一人ひとりに与えられたパラメーター、ポテンシャルは相手へ印象になって伝わる。私たちにできるのは体型を維持しようとトレーニングしたり、美容に気を使ったり、教養を身につけることだろうか。無意識のうちに<時には意識的に>構築した関係は自分の命を救ったり、逆に誰かを助けることにもなる。ネタがわれてしまえばなんともないが、これはもはやマジックではないだろうか。私は自殺未遂をしていて、その通報は高校の知り合いだった。その後措置入院で入院した病院は田舎っぽい町。そこで私は患者さんと沢山お話をした。すると今まで数ヶ月間回復の見込みがなかった彼らの病状が良くなった、らしい。私たちは自身の意識しないところでさまざまな変化を起こしている。このことには案外気がつかない。私も生活保護を受けているということは社会的にお荷物なのではとかは考えられた。しかし、逆に誰かに何かを与えているとは思ってもいなかった。この大きな流れ、あえて魔法と呼ぶことにするが、これを認識できるかどうかで生活の質も変わるのではないかなと思う。いざというとき活用できるよう、日ごろからその全容を探る姿勢が大切なのかもしれない。

おわりに

マジック、やはり難しかった。もう少し練ってから良い文章を書けたらなと思う。このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった