アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

ものを買うこと。気分の管理。

先日、診察に行った。処方薬の調整のため、精神科にである。そこで武将<私は主治医にあだ名をつける癖がある。今まで作ったあだ名はボーダー、沼、メンサン免許などがある。>に「双極性障害は躁のときは気持ち良いのが当たり前。医者はなるべくそれを避けなければならない。<鬱期は>苦しい病気よ。苦しみなさい笑」と言われた。現在処方されているのはどれも気分の高揚を抑える薬だ。要は躁に入れない。鬱にはなっていい。と、そういうことなのではないか。加えて不安を抑える薬を減薬していく方針らしい。患者としてはどうにも苦しいなと思う。躁より先に鬱が来る双極性障害はあるのだろうか。ないのならば正しいアプローチともいえるが私はそうは思わない。家庭環境が複雑、そして確かにしんどいもの<これは武将も認めている>だから考え込んでしまって鬱々としてくるのは私の常である。何とか苦しみを紛れさせられないか。その先にあったのは本を買うことだった。

別に本に限ったものではないが、私は「役に立つもの」を買いたがる傾向がある、と思う。そのため本以外にも生活をラクにしてくれるものを買うこともある。サイドバッグなどはその典型である。これは薬、日記帳、本、筆記具を携帯するために買った。しかしながら、きちんと検討するとそのようなものは稀有であると気付く。引き算をしていって、何も引けなくなる。こういった暮らしが理想的なのだ。だが、本は別である。私は無聊を託つことはほとんどない。いつも様々なことに向けて好奇心を発している<これを学究心と<ショーペンハウエルは言った>か何もできないで布団に包まっているかのどちらかである。何か新しいものに好奇心を発しているとき、それは主に本によって満たされる。インターネットで検索すればいいと思う者もあるかもしれないが、本に書かれているのは情報と知恵のあいのこのようなものだ。私は鮮度が重要な「情報」を好むわけではない。むしろ恒常的な知恵。これを知識としたい。インストールするときから知恵となるのは失敗を含む経験である。本は経験を間接的に補える。誰が医学博士をやりながら経済学を修め、心理学を学べようか。薄くなるが経験を積める。これが本の長所である。必ず役に立つもの。それが本である。私は役に立たないような本はまず買わない。知的好奇心の赴くままに私は本を買う。ショーペンハウエルの『読書について』、『知性について』は読書にいそしむことに反対的であるが、何も考えずに本を読むことが問題なのである。と私は理解している。また、ここには時代の変遷と扱える知識量の問題があると考える。彼も本文中で『純粋理性批判』を出してきたりしている。実は読書家で、後で警告の意をもってそう書いたのかもしれない。あくまで私の妄想の域を超えないが。

話がそれた。本<役に立つもの>を買うことである。私は動けるときは積極的に本屋に赴き、馬鹿のひとつ覚えのように本を買う。たとい財布が空になろうと。帰り道で十数キロ歩く羽目になるとしても。散財という行為に罪悪感を覚えて、それを味わうものに変わっているのかもしれない。そう気がついたのはついこの前のことだ。これは正しいのだろうか。答えは正しくもあり間違いである、だ。散財といっても度が過ぎた散財はしない。私は手元に来た金銭の1割を貯金に回すことにしている。このお金に手をつけたことはない。また、財布に入れるお金も5桁にならないようにしている。この点で私の散財は散財ではないのだ。計画的散財。万歳。しかし、1回で大量に本を買うときの心拍数の上がり方は気持ち良いものなのだ。先日、7000円ほど使ったときもそうだった。電卓を使って本の合計金額が財布の中身をわずか十数円残してかっぱらっていくものであると知る。どくり。汗が吹き出て心臓が高鳴る。これを会計に持って行ったら雨の中10キロ近く歩かねばならない。だが買う。これは倒錯的な行為である。しかし止めるものは脳内のもはや機能しなくなった理性である。結局10キロ歩くことになるのだ。重い本たちを抱えて。このとき頭にあるのは本がある満足感ではなく先ほどの鼓動、快楽の余韻である。なんてゆがんだ性癖!<変なことを考えた人は正しい意味を調べてください>計画的散財。そこに在るのは防衛策と暴走した学究欲だった。これは気分をスカッとさせる。気分の管理ができるのだ。薬で抑圧された私の数少ない脳内麻薬を出す儀式なのだ。脳内麻薬を出す儀式。なんて不健康的な響き。これを文化的な行為に高めた私を誰かにほめて欲しい。

深夜テンションで変な文章をかいている気がするが気のせいだろうか。読者の中には散財は双極性障害の躁の症状だと疑うものがあるかもしれない。でも、薬はきちんと飲んでいるし、計画的な散財ですのよ。このことは忘れずにいて欲しい。「もりきよは普通の人」()