アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

お詫びと随筆。友人含む人間関係について。

お詫び

昨日は友人らと麻雀を打っていた。その後すぐに睡眠剤を飲んでしまった。眠剤脳で何かをこねくりだそうとしても無駄である。以下昨晩書こうとした随筆<?>の一部を挙げる

私には少しばかり友人がいる。彼/彼女 らは議論でにる数少ないゆううじんてまあるこしさかしさしきさ

けこます

冒頭からこれである。まともなものを書けるはずがない。昨日分はおやすみ。そういうことで。

本文

昨日の私はどうやら友人について書こうとしてたらしい。何を書こうと思ったかはとんと覚えていない。だから再構築する。ひとまず書き出しは昨日に合わせておこうか。「私には少しばかり友人がいる」。少しというところに留意していただきたい。決して沢山ではないということだ。どうしてこうなったかはよく覚えていない。昔は「友達100人」を地でいける性質だったのにいつの間にかごく少数。5人程度まで減ってしまった。どのように減ったかというと、昔「友人」と呼んでいたカーストの集団が「知人」になり、本当に 話せる/議論できる 少数が友人として残るという手順が発生した。この手順には幾ばくか問題があるが利点もある。それぞれ確認して今後の友人との付き合い方を改善していこうと思う。

まず、問題点についてだ。多数の友人を知り合い枠に落とす最大のデメリットは、他人とうまくやっていくコツが次第にわからなくなることだと思う。私は相手が私を友達扱いしているのに知人であると言い切ってしまうなどのミスを犯している。自分の中の区分は他人に伝えるべきではない。そつなくこなすのが人間関係では重要だ。だがどうもそれを忘れてしまうのである。好ましいアイツと苦手なコイツ。この2人で扱いがまったく同じになることはないが、同じ「知人」フィールドに乗っていると扱いは近しくなる。友人との差別化を図る上でもこれは絶対の条件であるからややこしい<私は友人、知人を一種のラベリングだと思っている。友人より扱いの良い知人がいてよいか?そんなことが起きるならばその知人を友人に入れるか、友人のうち誰かを知人にしたほうが良いだろう>。この画一的に人を扱うというのは自分の中で裁きやすくラクな反面、相手に与える印象が良くないらしい。相手がどこかで権威を持つ人間<たとえばクラスカーストトップの人間。先輩>の場合、私に対する悪評が広まり厄介なことになる。知人の中にも扱いに注意する必要がある人間がいることを、何度か経験して覚えた。そして、一度知人か友人か判断した後にその決断を翻すのは難しい。これも問題のひとつだろう。友人、知人の判断は慎重に行う必要があり、いつでも変更できるようにしておく必要がある。

次に利点についてだ。これは言わずもがな、多数の友人に等しく与えてきた時間や労力がより少数の人間に分けられるということだ。これは面倒な人間関係のわだかまりから脱することに繋がる。そしてその少数の友人との時間を楽しめるという点でも利点がある。そういえば少し前についった上に高校生社長なるものを見た。彼は東大に高級車で乗り入ったりする者だった。その彼はついったの別のアカウントの主にLINEでお金を要求した後トンズラしたらしい。私のやってることもこれと似たようなものである。この高校生の行為は私的に褒められたものでないが、合理的ではある。面倒ごとを回避して、重要なことに労力を注ぐ。彼の場合はお金。私の場合はよりよい友人関係や時間。それだけのことだ。そうして気心の知れるようになった友人は、あるときは勉強仲間になり一日の終わりを共に勉強してすごす。そしてあるときは麻雀をしてお互いを励ましあったり、近況報告をする仲になる。こうして蓄積された時間は私の物質面<勉強量や好奇心を催す話との遭遇率を上げる点>と精神面<モチベーションや心の支えとしての役割>で私を構築する。友人は私の依存先になり、この関係は私の一部になる。この一連の流れが面白いと思う。生産的だ。友人を機械のように利用しているかのような響きに聞こえるかもしれないが、これは背景に尊敬や配慮のあってのことである。これは知ってていただきたい<そして自分自身覚えておきたい>。

これらを踏まえて私はどのように人間関係と向き合っていくべきか。それはおそらく、友人らとの時間をそのままキープしながら知人の扱い方を工夫するというところに帰結するのではないか。現状、友人らとの関係は円滑だ。不満がないというとウソとなるが、しばらくはこのままの関係を維持できるように思う。対して、知人関係ではエラーが多い。単に「知人」とラベリングするのではなく、関係する事柄も一緒に覚えておきかつ重要性で3段階で評価するのが良いのではないか。すなわち、友人予備軍の知人、連絡する必要のある知人、ただの知人の三つである。これはあくまで今考えたモデルであり今後修正が必要になるだろう。しばらくこのモデルで様子を見て、さらに改良したものを作ろうと思う。人間関係は先が長く複雑だ。今後さまざまなタイプに対応する必要があるが今はこうして試行錯誤するほかにないのである。よりはやく最善解とまで行かなくとも近似解が見つかることを期待して、この随筆の終わりとする。

終わりに

もりきよはついったお休みちう。人間関係の整理のためでもある。 再開までしばしお待ちを()