アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

お詫び(半ば開き直り)と随筆。薬について。

昨晩は投稿できなかった。なんだか2日に一度の頻度で投稿忘れしている気がするが、今後改めてゆくので暖かい目線で眺めていただければと思う。19にもなってこれは甘えとしか言いようがないのだが。毎度毎度謝罪文を書いていたらいずれは中途半端な休み癖は直るだろう。毎日更新されるかそうでなければブログが更新されなくなる。それだけだ。これは極論だが毎日更新できるに越したことはない。

なぜ休んだのか。体調不良だ。風邪ではないと思われる。毎日朝夕に2錠ずつ飲む薬を1錠ずつしか飲んでいなかった。2週間分処方されていて1週間誤った飲み方で飲んでいた。それならば飲む量を3錠ずつにすればいいと考えた。それに加えて、朝飲み忘れたのを夜にまとめて飲んだのだ。どう考えても武将がストップをかけるだろう飲み方だ。でも手元に効き目の弱い薬がいシートくらい残っても何にもならない。だから飲んだ。血中濃度がいきなり6倍になるのだ。体調も崩れるだろう。めまいもしたし。自業自得なのだが、ここまで行くと面白い。今回は薬を使って失敗してしまった。だからこそ薬について書こうと思う。

私は基本薬には反対である。生来持った性質が人為的にゆがめられる気がする。というのだろうか? 自分でも処理できてない感覚ではあるが飲まないに越したことはないと思う。まあ、実際は薬かなり飲んでいる。<実は早くも辛さを感じながらも>25までは生きてみることに数ヶ月前のもりきよが決めたので薬を飲んでいる。そういった状態だ。既にゆがめられている感じはするのだが手遅れだろうか?

私は1日に頓服を除いて漢方2包と錠剤14錠を飲んでいる。今、飲み忘れていた夕食後の薬を飲んだ。漢方1包と錠剤8錠それと頓服の不穏止め2個。何が処方されているのか。一応書いておこう。需要はないだろうがもののついでだ。

これが私が一日に飲む薬だ。薬に染まっているな。フルニトラゼパムサイレースという名前でおなじみの睡眠薬最強といわれる、水に溶けると青くなる薬だ。それを最大量処方していただいているのだからたいしたものだ()。しかもベルソムラという睡眠剤と眠くなる副作用のある薬も併せて処方してもらっている。ODなんてしたらえらいこっちゃ。まあ、約束してしまったから、たぶん、しない。ところで私はタンドスピロンクエン酸塩錠をロラゼパムに戻したい。依存性こそあるが、今の服薬状況では過ごしづらさを覚えることが多くなったように感じる。不安感。ざわつき。薬を飲むならそれらは減らしておきたい。車の免許なんてとても無理だ。だって処方される薬のほとんどに「車の運転など注意の伴う作業は控えてください」なんて書いてあるのだもの。献血も無理。ナンテコッタイ /(・・)\。

まあ、主観を述べよう。薬飲んで幾ばくかラクになる部分はあるが根本的には苦しい。ホンワカパッパなんてできない<ラリパッパなら幾ばくか望みはあるが......>。ただ、しんどい時<まあ割りと常にしんどい>に耐えしのぐために飲む。そんな感じ。これも25までは生きるとoxyさんと話をしていたからだ。先に救済が用意されなければ耐えることもできないだろう。それを25までに見つけられて惰性で生きるのか、25で切り落とすのか。それは今はわからないが、時間が来ればおのずと結果が見えるだろう。

それで薬を飲むことについて私は反対的、だった。抗うつ剤はまだこちらが使ってやってる感があった。しかし、診断名が双極性障害に変わった今、躁状態を抑えるタイプの薬が多く処方されるようになった。軽い躁状態の気分はそこらにいる酔っ払いくらいのものだと私は勝手に思っている。ゆえに私は薬に操られているような今の状態が気に入らない。既に操られた後の自分はもう手遅れな気さえする。まあ、気持ちよくなりたいだけと言ってしまえばそうなのかもしれないが。そんなわけで薬について諦観半分やめたい気持ち半分だ。ホンワカできる薬が出るならそれを飲みたい、が期待できない。そして金を使って酒を買って酔うよりは、自前で気持ちよくなれたほうが経済的にも良いだろう。なんて思ってしまうのだが、これは間違っているだろうか。

確かに躁状態だった頃の自分に苦しめられる経験はあるだろう。それは寛解期とか鬱期と呼ばれる時期だと思うが、自分の蒔いた種でないか。確かにこの病気のパンフレットにあるように人間関係や財産、仕事を失ってしまうかもしれない。社会的に負の影響も与えてしまうかもしれない<私にとってはこちらのほうが問題だ>。しかし、長期の目線で見れば、後者についてもそうともいえないのではないか。寛解期や鬱期は躁期の反省が頭の中を蠢いていて人間関係についてはまったく良好である。良すぎるといっても良いくらいだ。これは知人に言われたことが多数あるから使っても問題ないだろう。「もりきよは何でそんなに『いい人』できるの?」。まあ、「いろいろあったから」と答えるが病気のことについては触れない。すなわち、いい人をやっていた、そのツケが躁期にばら撒かれる論理は働くか。働くならば、病院通いをやめても良いか。これが難しい。いったいどうしたものか。あーあ。まだアルコールの味は知らないが、甘美なものなんだろうか。身近に、それも両目の裏側に酔えるものがあるというのに、それを逃してまで追い求める味なのか。アル中という方々がおられる。私は躁中なのではないか。

薬も不安を取り除くものをどんどん減らされている。アル中における断酒のようなものだろう。当然苦しい。私はほんとに病院に通い続けるべきなのか? 人生で何を優先して良いのか、ここで定まっていたら良かったのだろうなとしょっちゅう考える。そのうちまた、随筆に書くか。結局薬は飲まないほうがよいのではと考えながら飲んでしまう私の愚かさよ。双極性障害と診断が下ったこともあって、もう抗うつ薬を出す医者も少ないだろう。苦しい。苦しい。あっぷ、あっぷ。

ここまで主観で書いた。客観ではもはや書ける気がしない。私が何か思い違いをしているのならばぜひとも指摘していただきたい。人生で酔い、醒め、また酔うことに溺れ、それを頼りにいまディスプレイに向かっているのが私なのだ。酔生夢死。それは脳に備わる機能<医学的には欠陥なのだろう>のものか、薬・アルコールによるものか。どちらにせよこの先社会に出るにあたって、陽気なもりきよを対外的には打ち出さなければならないだろうと思う。無意識にそう振舞うことも予想される。それに精神がついてきてくれるか、そこに人間関係の難がありそうだ。寝る前に毎日酔生夢死と唱えてみようか。夢から醒めるかもわからない。今までのがすべて夢で新たに生まれることができたらと思う。生きながらえる自信はないが。

まだ薬に慣れていないのだろうな乱雑に書き連ねてしまった。残念。