アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

ゆっくりで安らかな暮らし

今日はいっぱい経済活動をした。金曜日に入った生活保護費を銀行から引き出して、サポートティーチャーとして母校で働き、その後にAmazon Kindle Paperwhiteや本を買うなどした。引き出したのは7万円くらい、今日働いて得たお金<これは実際には月末に振り込まれる>は3050円。そして消費に使ったお金は大体4万円くらい。当然このペースでお金を使い続けるなんてことはできないのだけど、それでも衝動買いが過ぎる。月末には米だけの食事が続くのではないかと思う。一応銀行にはまだ4万円くらい残してあるけれど、これは光熱費で引き落とされてもいいようにという保険だ。

これから先どんな生活が待っているのかと不安に思って、家計簿アプリを開いてみると少し不思議なことがわかる。先月は友人と遊びに行ったり食事を食べに行ったりしていて食費がとても高くついたと思っていたけれど、実際には29,757円。3万円にもなっていなかった。当初の想定だと頑張って月3万になるかどうかだったから簡単に達成できて拍子抜けた感じ。今月もそのくらいで済むのであればまだお金は使える。消耗品は先日買ったばかりだからあまり気にしなくていいし、新しく必要なものも少ないだろう。来月には働いた分のお金も手に入るからもっとお金を使えるし。へへへ。

......この思考回路はなかなかに危険な感じがするな。いつかお金で困ることになりそう<今も生活保護を受けているから困っているといえばそうなのだが>。幸い今は生きていればOK、贅沢は本と勉強関連くらいという気持ちであるから勉強<読書>に全力を注ぐことができる。無茶な浪費はしないで能力ひとつに全ブリって感じ。いいねいいね。買える本の数には限界があるけれどその少ない本の中から少しでも多くの学びを得られたらと思う。成長したい。この欲求が時計とか自転車とかの方向に向くと少し危険かも。衝動買いをしやすい性だから、貯金の楽しさに目覚めないといけない笑 スカーゲンの時計と、リカンベント自転車......ほしいなぁ笑

10月になっての朝方の生活は概ね成功している。朝起きた後は健康を気にして毎日ラジオ体操をやるようになった。野菜が不足しがちだから野菜ジュースを飲んでバナナも食べている。そんなにお金はかかっていないけれど、満たされた、ゆたかな暮らしをしているなと思う。大学生活は慌ただしくて楽しそうだけど、こういうゆったりとした暮らしも案外悪くないのかもしれない。勉強も自分のペースで少しづつできているし、家事も頑張ってやっている。

この生活の安定性をあげるために早く日々のルーティン1週間セットを作りたいと今は思っている。朝食と昼食は固定してもいいのではないかなとか、家事はいつやろうかとかそういう事を考える時間は案外楽しいものだ。日常の設計。これができている。こんな感じの暮らしがこれからも続けばいいのになぁ。そんなことを考えるゆっくりとした日常。

あーあ、貯金の楽しさを知れて、自分が今まで知らないと知らなかった分野との接点をもっと増やせたらなぁ。なんて。贅沢な悩みでしょ?


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学び続ける姿勢を持ちたいなって話

私は勉強することが好きだ。でも特別に勉強ができるわけでもないし、勉強した事柄を誇らしく話すわけでもない。ただ、知らなかったことを既知の範囲に収めて、自分もその知識を用いて話をできるようにすること。そして、新たな思考回路を形成していく過程がたまらなく面白いと思う。言うなれば自分で乗り物をカスタムして知らない世界に旅するような感じ。そして行き先で新たなパーツを入手する。このサイクルを回すのが楽しい。

勉強する目的は人によって様々だと思う。自分の身を守る目的でコンピューターサイエンスを学ぼうとしている後輩を私は知っているし、大学受験のために勉強している人が多くいるというのは疑いようのない事実だ。学ぶこと自体を楽しむというのは案外稀な価値観なのかもしれない。みんな資格だったり、仕事だったりと活かせるような勉強をしている気がする。この点で私は少し疎い。学んだことを確認するために資格を用いるのは良いことだと思う。ただ、資格のための勉強をしている人は、なんだか私にとっては「とっても先を考えられる人」として写ってしまうのだ。自分の計画性のなさからこの価値観は生まれると思うとまだまだ私は幼いなと思う。

私が大学に進まなかった理由で大きいのは病気の治療と、それに悪影響を及ぼしかねない家庭環境からの脱出だった。しかし、実はなにを学びたいのかを決めきれなかったという側面も大きい。いろいろな分野をかじりながら本当に学びたいことを数年かけて見つけていけばいいと思っていたから、大学受験である程度学びたい分野を狭められるというのはストレスだった。当然東大とか海外大リベラルアーツとかっていう選択肢を知らなかったわけではない。けれど、その選択肢を取るには経済的にも計画性にも無理があった。今年はミネルバ大学の受験をしてみようとは思っているけど、正直受かる可能性は低いだろう。こうなると自立した生活とともに勉強の習慣を身に着けなければという話になってくる。

一人暮らしが始まって考えさせられたのは時間の使いかたの難しさだ。時間はたくさんある。やるべきこともたくさんある。やるべきことが早く終わったときの時間の使いかたを考える必要性を今、改めて感じている。例えば今日はやることが少なくて勉強に使える時間がたくさんあった。しかし、そのうちの数時間はゲームに消えることとなった。目先の快楽に押し負けて長期でやりたい勉強から目をそらしてしまったのだ。今、振り返るとこの時間の使いかたは後悔を生む。後悔しない時間の使いかたを意識しながら毎時間生活していきたいと思う。未来から戻ってきたときに今と同じように使うだろうか。このことを常に問いながら生活していけば、私に足りない計画性とやらも養われるのかもしれない。

勉強したいというハングリー精神を保つためには環境も重要だと私は思う。最高なのは大学に行けることだが、できない以上今の生活に即して考える必要がある。幸い母校で勉強を教えるという仕事に就いたから、生活保護関連でなにか言われることはしばらくはないと言える。その仕事のために私は本を読んで勉強することができる。素敵な環境を構築できたものだ。また、SNSの身の回りにも恵まれている。大学生や高い知能を持った人が多くいるから、こちらも励まされて勉強する気が強くなる。記憶術のトレーニングに取り組もうとしたのも、思えばついったがきっかけだった。今はあまりできていないが、普通に生活していたら遭遇する機会は殆どなかっただろう。運がいいのだ私は。ツキが最近になって回ってきた。ありがたいことだ。

今の環境も捉えようによっては悪くない。2年間は家賃0円でGHに入っていられるし、その間生活保護を受けることができる。大学に行けたら生保は打ちきりになるけれど、親戚が支援してくれるなんて話を風のうわさで聞いた。今この文章を書けているのも給付金をPCに使えたからだ。毎日文章を作って、人に公開する。文章がうまくなっているとは思わないが、量を書く練習にはなっているともう。付き合ってくれている読者の方に感謝したい。

今月は先月苦しかった分保護費が多くもらえている。だからさらなる投資をしてみようと思っている。まずAmazon Kindle Paperwhiteを購入しようと思う。これは紙の本の保管場所に困っているというのとKindleを使うと新書等が安く手に入るということを見越しての判断だ。紙出ない形態の読書は初めてで紙の本同等の学びを得られるかはまだ未知数だが取り組んでもいいのかなと思った。そして以前やっていていまはお休みになっている「やりたいことまとめ」の記事。これを近いうちに再開したいと思っている。どうやって透明性を保とうかという悩みはあるが、なんとか解決してやっていきたい。

これからも学びのために考え、行動に移していきたいと思う。どうぞよろしく。


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月初め。新しい日常へ

9月が終わってひとつの挑戦が終わった。9月の末に締め切りがある小説の公募に自分の書いたSSを提出したのだ。締切は30日の23時59分。提出したのは23時58分。本当にギリギリの戦いだった。文字数に関しても4000文字以内の所に3999文字とかかなり際どいところで提出した。判定ツールによっては4000字を超えるだろう。審査する方々が再チェック等をしないことを内心祈っている。

私は普段あまり小説を読まない。読書と言うときには勉強のための読書で、岩波文庫や新書をメインで読んでいる。そんな私が小説を書こうと思ったのは文章を書く一環として、また脳トレの1つとしてSSが良いのではないかと考えたからだ。これは過去の記事に詳しく書いている。今振り返ってみると小説を書くというのはブログを書くのより難しいように思う。ブログなど現実に則った文章は、土台として今いる世界が使えるけれど小説だとそうはいかない。自分の発想のもとで世界を構築して、それをあからさまでないように記述していかなくてはならない。その加減がとても難しかった。普段小説を読まないのを後悔した。これからはもっと小説も読んでいこうと思う。

小説を書くというのはなかなかに苦しい作業だった。思いついた設定に基づいて話を進めていく。これは私の活発な連想ゲームを絶えず行っている脳みそがやってくれた。しかし、これにオチをつけるのがとても難しかった。設定の構造的な穴を探したり主人公を殺したり.......いろいろな方法を試してみたけれど効果的なメソッドはいまいちつかめなかった。これが脳トレになると思う。かなりの時間を費やした。そしてある程度見切りをつけて、オチに向かって文章を進めたときに余分な文を入れないようにするのが、これまた難しい。キーボードを叩いていると簡単に文章が作られる。話を発展させるときに頭の中で文章を組み立てる前にディスプレイに文字列が並ぶなんて事もザラだった。こうして侵入した余分な文章はそれはそれで必要な気がしてしまうからたちが悪い。どの文章を削り、どの語彙を改めるのか、書き終わった直後に考えるのはほとんど不可能に近い作業だ。どの文も必要な気がしてしまう。この作業にも多くの時間を費やした。書く時間と削る時間だったら後者のほうが長かっただろう。いかに完璧を目指すのか。これが小説を書く面白さなのだろうなと思った。まるでパズルみたいだ。

書くときは苦しかった小説もいったん脱稿してしまえば、気持ちは爽やかに心は軽くなる。ひとまずこれ以上は編集しなくていいのだという実感。自分で文章を書ききったのだという達成感。これはしばらく味わったことのない心地よいものだった。定期テストで目一杯勉強して学年1位を取ったときの快感に似ていないこともない。まだ大賞の結果は出ないし選考漏れすることは想像に難くない。それでも、ひとつのことを成し遂げたという快感は良いものだ。私は飽き性故に何かを成し遂げたという経験に乏しい。何か賞をもらったということはあっても、それは努力の結果というよりは才能の発火であり、実感の湧くものではなかった。ひとつのことにしっかり取り組んで、終えるというのがこれほどまで気持ちが良いとは。小説はその快感を教えてくれた。最高の気分だ。

さて、そんな小説の執筆が終わって3日、10月になった。今月は少し変化の訪れる月になるだろう。まず明後日、5日から母校、多摩科学技術高校でのサポートティーチャーという仕事が始まる。詳細については前の記事に書いた。定期的に仕事が日常に入ってくる。週3回、1.5時間。これがおそらく私の生活のペースメーカーになるのだと思う。GHの世話人さんが、「夜型の生活をやめられるといいですね」なんて言ってきた。実はそのための仕事という側面もあって応募した。お給料がもらえて自分の生活の周期も安定する。いい事ずくめだ。

また、今日で今の家に越してきてからちょうど1ヶ月になる。家電も揃って生活が安定してきた。完全な自炊まではできていないが米は炊けるし、洗濯もできるようになった。掃除はこれから練習して周期的にできるようになりたい。生活保護費も昨日入ったようだ。うまく使えるように練習したい。仕事が始まるというダイナミックな変化に加えて、生活を安定させるために家事を回していかなくてはならないという責任感がついてくる。この2つの変化にどう対応していくかなんだと思う。ただ受動的に変化の波に流されるのではなく、変化にノッて成長していきたいと改めて思う。

更にと言ってはなんだが大学受験も控えているのだ。どこまで能動的に、意識的に活動できるかが鍵になってきそうだな、今月は。なにか良いスケジュール、タスク管理ツールがあったら紹介してほしいと思う。10月も頑張るぞ!!

久しぶりのブログ、文章が少し雑だな。タイムリミットを決めて作業しているせいもありそう。タイピング早く、構成はしっかりとを心がけていこう。


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はじめてのおしごと決まりました

私はこれまで仕事というものをしたことがなかった。ただ、人の役に立つことをしてその対価をもらう経験自体はしたこと自体はある。ボランティアだ。無償のように見える働きの影で対価として貢献感が与えられている。中にはスポーツドリンクを対価として渡されたこともある。ただ、これはそれを目的にボランティアをしたわけではなくて、結果としてお礼のスポーツドリンクや貢献感をもらったという感じだから仕事にはカウントしないでおく。そう考えると報酬欲しさで働いた経験なんてまったくないことに気づくのだった。

そんな私に仕事の話が舞い込んできた。仕事の名前はサポートティーチャー。母校である都立多摩科学技術高校からの募集、生徒に放課後勉強を教えてほしいとのことで、今年の春に申し込んだのだ。科目は理系科目が望ましく、時給は3,000円で交通費は出ない。放課後の1時間半程度だから大した額にはならないけれど、週3回、1日あたり1.5時間だから月当たり54,000円。これはおいしい。私は未成年で生活保護を受けている関係上、手元に残る額が10,000円ほど多くなっている。54,000円の内残るのは27,800円か。それでも生活扶助の88,700円に対する割合は大きい。勉強用の参考書代にはなりそうだ。TOEFL1回分にもなる。

この仕事、本来なら面接等が行われてから選ばれるものなのだが今年はコロナの影響から面接は行われなかったようだ。はじめに連絡したのが4月か5月頃。その時は選ばれる自信もなかったものだから物理と英語を教えると豪語してしまった。他のサポートティーチャーが大学生なのに私は高卒無職。それだから雇ってもらうためにはと意気込んだ結果が2教科教えることだった。その後7月頃にまだやる気があるのかを確認する電話が来て、本日雇われると伝えられた。

サポートティーチャーになれて嬉しい反面不安もある。私は英語と物理を教えることになったがどちらも程々にしかできない。言うなれば高校で5は取れても大学レベルの知識は持っていないから解説はできないといったところか。

英語ならばボキャブラリーと過去問があればどんな試験でもある程度対応可能である。私も勉強時間の多くを単語の学習と過去問に費やした。当然その一環として色々なメディアを用いて英語に触れる機会は増やすが、それも語彙があってこその話である。そして、私は語彙の増やし方なら軽く教えることができる。この利点は大きい。ただ、文法が苦手で英文邦訳や邦文英訳に関しては手も足も出ない。ここを鍛えてからサポートティーチャーに臨む必要がありそうだ。長文の問題を持ってこられて答えが出せてもそのプロセスを教えられなければ意味がない。自分の英語の読み方の言語化、これを準備する必要がある。

英語はある程度対応可能だが、物理はと言うと教科書レベルでさえ怪しい。微分積分を使った解説なんて以ての外だ。高校物理は毎回テスト前の数日の演習と勘で乗り切って5をとった。誰かに教えられるのは物理基礎くらいではないかと私は思う。電気とか波とかは大の苦手だ。もう一度教科書を読み直す必要性を強く感じている。

そもそも在校生が私達に求める説明はどの程度のものなのだろう。授業の理解ができないからその補助として使いたいのか、それとも受験用の生きた解法を知りたいのか。後者ならば私は殆ど役に立たないだろう。私はTOEFLやACTは受けたけれど、日本の大学は1つも受けなかった。受験は日々の積み重ねと本番前の伸びが物を言う世界だ。日本の大学に向けてそれらをやってこなかった自分が無責任に適当なやり方を教えるわけにはいかない。いくら学校にいたときの成績が良くても教える立場になったときに十分な質を持って教えられなければ、仕事としては失敗なのだ。

副校長は「はじめは誰も教えるのはうまくない。教え手も一緒に成長すればいい」といったようなことを電話で言っていたが、私はそうは思わない。教え方については後からうまくなっていくにしても、最低限の実力はしっかりと持っておきたいものだ。私の初出勤まで残り7日。足りない部分はなるたけ補填していきたい。そんな気持ちから微積から高校物理を見直す参考書をポチった。少しでも理想の形に近づければよいのだが。

人に教えるのはさぞ難しいのだろうな。


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大学にいきたいんだなぁって話。共有のちから

今日はHLABのピアトゥピアコーチングのワークショップに参加してきた。HLABとは前から繋がりがあったし、インスタグラムで流れてきたこのイベントには興味がそそられた。なにせ、最近友人から聞いて興味のあったコーチングのワークショップだったからだ。コーチングとはなにかとか、コーチングの手法だったりに興味のあった私にはちょうどよく舞い込んできたうまい話だった。普段はインスタを開かないからなおさら嬉しい。棚からぼたもちといった気分だった。

ピアトゥピアコーチングとはふたりで行うコーチングの手法で、聞き手と話し手に分かれて行うものだ。聞き手も話し手も「答えは話し手にある」という考えのもとで話したり質問をしたりして、自己理解を深めたり個人の意思決定の方向を定めていく。質問のしかたは話し手に思考を促すオープンエンドクエスチョンが良いとされる。相手を無意識に傷つける恐れのある、対比、励まし、アドバイスを避けて質問して、相手の考え方を伸ばしていくという手法が面白かった。

ワークショップは大きく3つのセクションに分かれていた。1つ目がHLABの説明のパート。ここではHLABが今年の12月から運営する下北沢のResidential Collegeの話や毎年恒例のサマースクールの話がなされた。何でもResidential Collegeは社会人枠もあるらしい。15人という狭き門だが、もしも入れるのならば入りたいものだ。2つ目はピアトゥピアコーチングの説明のパート。ここでは良い質問はどのようなものかや、コーチングの進め方の例、困ったときの対処法などを説明していた。司会の志村さんがが明るくて面白かった。3つ目はピアトゥピアコーチングの実践練習のパートだ。ふたり組で話し手と聞き手を交互に15分づつ、自己紹介も含めて45分ほど時間をとって行った。

ピアトゥピアコーチングはあくまでも相手に考えさせるために聞き手が存在するから、その介入方法である質問が重要だ。やってみたらかなり難しかった。守秘義務があるから相手の話はあまりできないが、質問するタイミング、内容を考えながら相手の話を理解するのに頭をかなり使った。私の相手はプロのコーチで話すことに慣れているようだった。私の話が切れるタイミングでうまく質問してもらえたように思う。私はと言うとうまい質問は2つほどしか思いつかなくて、9割以上を相手に話させるような感じになった。事前の解説では95%話し手が話すくらいが理想と言っていたけれど、うまい質問ができるようになりたいものだと思った。あとから、ペアだった女性からはプロのコーチみたいだったと言ってもらえたけど、お世辞だと思う笑

私が話した内容を少し書こうと思う。私はなにか大きな問題を持っていて悩んでいるというふうではないから大まかに「将来のこと」として話し始めた。進学を見送って、生活保護を受けて一人暮らししていること、大学にいつか行きたいという希望を伝えた。相手はもし一度就職するとするならばどのような業種がいいのかなどを訊いてくれた。私は低所得の家庭出身だし、児童養護施設出身でもある。その私を現在のような文化水準まで引き上げてくれたのはひとえに教育のおかげだと思っていること、そのために教育関係に興味がある旨を伝えた。この回答は予想はできていたけれど、いざ言語化すると強い思いのもとに成り立っているものだということに気がついた。言語化の力、恐るべし。また、進学にあたって金銭面の問題から海外大を検討していることも話した。その選択肢の1つがミネルバ大だ。これはあまり他人に<それどころか家族にすら>話したことがないけれど、話してみると不思議と責任感というものがまとわりついてくる気がするから不思議だ。頑張ろうとその気になってしまう。

今回のワークショップは数日前までは緊張していたものの、当日は非常にリラックスした状態で受けることができた。それは事前に企画側の志村さんとお話させてもらっていたことと、HLABのサマースクールで同じハウスだったHが同じワークショップを受けることを知っていた事による。志村さんとお話させてもらったことは全くの偶然で私に持病<双極性障害>があると事前アンケートに書いていたことによる。明るい人柄に安心したのを覚えている。頭を使いながらリラックス。非常に良い状態で参加できたのかなと思う。薬、睡眠の周期もうまくあってくれたみたいだ。

Hとはワークショップ終了後1時間ほど通話した。ひさしぶりに聞く声だった。彼は東大生。正直イベントよりこちらのほうが緊張した。そうはいっても久しぶりの友人と話す程度の緊張でしか無いのだが。近況をお互い話して私が今年ミネルバ大を受験しようとしていることを話した。話をきいてみると彼は東大と併願でミネルバにも出願していたようだった。「俺の分も頑張ってくれ」と激励してもらった。入試に関する情報を少し分けてもらって、ミネルバのアカウントを今月中に作ることを約束した。約束は先程無事に果たされた。

話すことの効用は計り知れない。言語化というだけでもかなり大きな力を持ってくる。人に話すとなるとなおさらだ。質感を持ち、責任感をまとい、実行したいという想いに駆られるようになる。私はミネルバ大学に行きたい。この言葉を口にするようになってからしばらく経つ。この言葉に私は責任感を持てているだろうか。言葉をリアルにするべく行動しているだろうか。大学に行きたい。そのなかのミネルバ大。しっかりと意志を持って行動していきたいものだ。私は大学で自由な時間を持ち、自由に学びたい。

次回のピアトゥピアコーチングワークショップは1月を予定しているようだ。気になるかたは参加してみては?


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