アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

久しぶり。リハビリ的文章。n回目

今週のお題「大人になったなと感じるとき」これにも関係あるかもしれない。お酒を飲んだ。

こんなタイトルをつけた文章が並んでばかりだ、私のブログは。毎日更新する週間が付けばいいのだがなかなかうまくいかない。継続って難しい。#もりきよ日記についてもそうだ。ブログの縮小版にしようとしてスマホの画面1枚分の日記を始めたのはいいものの、結局更新できないでいる。文字数が約1000文字だから、ブログよりもずっと更新しやすい<ブログは普通に書いていると3000字ほどになる>。文字数制限がすぐに訪れるために、ゴリゴリのダイエットをした文章を書くことになる。謎解きをしたような少しの爽快感。案外楽しい。

いま私はブログ更新のためにTyporaというアプリに向かって文章を打ち込んでいる。感じるのは文章を無限に打っていいという自由と、その可能性。それから支えを失ったかのようなちょっとした不安だ。普段文章を書くときには内容をある程度練って書く。今は思ったことを思ったままに書いているからだろうか、とっちらかった文章を書いているのだなと自分でもわかる。それをうまくコントロールしたいとは思うのだが、頭がろくに働かない。紙に書きたいことを書き出して一度整理するのが良いと知っていても、それを行動に移すのは煩わしいというか。気だるくてできない。やりたくない。そんな感じ。

こんな汚い文章を人様に見せるのは正直気がひけるのだが、これも私の一部だと思えばいいのかなと思う。きれいでスパッとした文章を書く私もいればこんがらがった醜い文章を書く私もいるのだ。ついったで他己紹介してもらったときに「思考のはたらきが澄んでいたり濁っていたり、大変そう」と言われたことがある。今の私は濁っているのだろう。頭から、感覚からスラリとした文章を引き抜かんとすれども、長く縮れたラーメンのような文章が生まれゆく。頑張って無駄を省こうとする頭の働きは外野にいて、結局文章の校正をできずにいる。そんな感じ。

こんな感覚になるのも珍しい。数日前に酒の味を知ったからなのか、体がアルコホールを求めているのかなって思う。軽く首を絞めたかのように頭に血がのぼる感覚が忘れられない。ふと入院中に出会った女の子の影を見た。彼女は病んでる感じの女の子だった。入院中は結構長い時間を彼女と過ごしたものだった。彼女は薬をそれはそれは楽しそうに飲んだ。とても印象に残っている。薬を飲むとなぜか目の下にクマができるからひと目で薬を飲んでいるか否かがわかる。薬を飲んだあとのふわふわとした話し方で彼女は「もりきよ~、まっすぐあるけない~、たのし~」なんて言うもんだから面白い。酒を飲んだあとの足元のおぼつかない感じが彼女のイメージに重なったのだと思う。

さて、お酒だ。ウィキペディアで検索したら抗不安薬のところにエタノールと出てきた。確かにあのふあふあ感は癖になるし、一時的には不安も解消されるだろう。2日しか飲んでいないのに、もう飲みたい。お医者さんと「人付き合いの一杯なら飲んでいい。二杯目以降は烏龍茶」という約束を交わしてしまった。うう、お酒飲みたい。20歳になってまだ3日、酒を飲み始めて3日でこれである。恐るべきお酒の魔力。友人らしき知人に「もりきよはアル中になる素質あるよ」と言われたけれど、まさにそのとおり。本来ならお酒を飲むつもりさえなかったのだ。武将には「薬とお酒の飲み合わせは最悪」とまで言われているし、誕生日も買うだけで満足するつもりだった。「認知機能が最も良い20歳の頃に酒を飲むなんて馬鹿だよね」なんて言っていたのは果たして私だったのか。もうお酒のことばっかりを考えている私とはもう違う次元に住んでいる気がしてならない。

酒、酒、酒。旨い酒というやつも飲んでみたいし、いろいろな酒を飲んでみたいと思う。人付き合いの中でしか飲めないなら、酒好きのトモダチを作るしか無いなとも。酒が先行して友達付き合いはその手段みたいになっているところももう、人としてどうなの?という感じである。もっと言ってしまえば、「ツイキャスは人付き合いに入りますか?」なんてついったでアンケートを取っている時点でアウトである。おちつきなさい、私。あぁ、お酒飲みたい。

なんでここまでお酒が飲みたいのだろう。おとなになりたいのかもしれない。小さい頃から見てきた大人なんていなくて、精神年齢幼いままでここまで育ってきてしまった自分がいる。諦めることはきらいだし、何かに迎合するのも好きではない。それでもお酒のせいにすれば、馬鹿になれる。酒に飲まれてしまえば、一時的に自分から離れられる。もともと、離人感は強い方だったけど、お酒はそのサポートもしてくれるから。飲む。飲まれてしまう。吐血してでも飲む。なんだかちょっと悲しいね。なにかに諦めたり、習慣に飲み込まれて同じような毎日を過ごすのが大人なら、お酒はきっと私を大人にしてくれるから。

私が自信を持って友達って言える人って実は「少ない」んじゃなくて「いない」。ネッ友は知人よりちょっと仲がいいくらいの関係。自分から友達っていうのは気が引けるし、手のひら返されたときのことを考えてしまうと自分から拒絶してしまう。だから皆に無償の愛は与えるけど、特定の人に対して好意をもつことはあるけど、自分で決めた一線は越えられない。人を好きになるのにも臆病。弱虫なんだなと最近気がついた。そんな私を見守ってくれていた友達、希死念慮ちゃん。ずっと一緒だったし、辛いときには優しく介抱してくれた。そこに新しくアルコホールちゃん。おさけちゃんでもいいか。仲良くしてくれそうだ。お薬は乱用しないように約束させられたから、プラトニックな関係なんだよね。このみっつのお友達、パートナーとこれからの人生は歩んでいくんだね。たばこは.......どうなんだろうね。