アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

次第に習慣化されていく毎日。これってどうなの?

一人暮らしを初めて1ヶ月と1週間くらい経った。10月に入ってからは生活を安定させること、つまり睡眠時間の固定だったりとか家事の習慣化に取り組んでいる。これには嬉しい面もある反面あまり喜ばしくない面もある。今日はこの両方を考えながら、日常をどう変化させるのが良いのか考えてみようと思う。

まずは良い点について考えよう。日常の中にルールを課して生活に規則性をもたせると、日常のあちこちで自動化された動作が生まれる。例えば私は10月の初めから22時10分にアラームをかけて22時30分に薬を飲めるように努めている。こうすることで寝る時間について考える必要がなくなる。作業をしていてもアラームが鳴ったら作業を中断して、机の上に本などをおいて明日に引き継ぎをする。その後は歯磨きをして英単語の復習をしたあとに薬を飲んで寝るだけだ。以前のようにいつ作業を中断して、いつ寝るのかについて考える必要がない。もっと言えば、薬で眠りを管理している関係上次の日の起床時間も安定して予定に遅れるということもなくなってくる。これが10月から生活を変えてみて感じた変化だ。今まで考えてきた問題を無視でき余計なことを考えなくても良くなる。日々の生活を維持するエネルギーを少なくしながらもクオリティの高いパフォーマンスができるのは圧倒的に良いことだろう。

続いては悪い点についてだ。これは良い点と表裏一体である。習慣化されて自動的に行われる動作に対して考えることが減るというのがそれだ。例えば洗濯。私はシャツ類が6枚になった次の朝に洗濯機を回すというルールを採用している。大体2~3日に一度くらいの頻度だと思ってもらえればいい。このとき、私は洗濯をいつしようかとか、洗剤の量とかを余り考える必要がない。変わらないからだ。例えば食事。最近は朝はグラノーラ、昼はゼリーとチョコレートバー、夜はハンバーグとご飯と、メニューが固定されている。だから一度グラノーラを買ったりハンバーグを10日分買ったりすればしばらくは買い物に出なくてもいいわけだ<ただし、昼食については朝の散歩を兼ねているために毎日買っている>。毎日メニューが同じでも飽きるということは無いのだが、ブログで食事について書くことなどはできなくなってくる。ネタ探しに困るわけだ。毎日の自動化された手順を実行するとき、何も考えないでできるようになってしまう。これは日常の中から得られる情報が減ると言い換えてもいい。これはあまりいいことではない。特に学習し続けようとしている者にとっては。

ただ、問題を認識できている時点でこれは改善することができる。その作業そのものについて考えることが減ったなら、別のことを考えればいい。自動化された作業の合間に意味ある時間を作ればいい。すべての問題解決はまずその問題を認識することからはじまる。解決する問題があるからこそその解放を考えることができるのだ。ブログのネタは習慣を少しメタ的に捉えて習慣形成の方法を書いてもいいわけだし、家事以外の自由な時間にボーッとしたり考えを深める時間を作ってそのことについて書けばいい。やりようなんていくらでもあるのだ。まずは問題を認識して、どう変えたいのかゴールを設定することと期日を作ること。そうしてできた解決法を実行すれば問題は解決されるはずだ。まずは認識すること。これが大切だ。問題を探すためにも日常に疑問を持ち続ける眼を養いたいものだ。


このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった。餌<コメント、いいね>がほしい。サカナたちが喜ぶ。