アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

忍び寄る怠惰。自立とは

赤帽のトラックを使って引っ越してから今日でもう4日になる。時間が経つのはとても早いものだ。この4日間でできたことといえば、衣類以外の荷解きと近隣の散策<これにもまだ多量に穴がある>、電子レンジと椅子の購入だ。今までだったら、4日もあれば本を数冊読み切ったり、勉強にもっと時間を充てることができていただろう。私が日常の多忙さに埋もれつつある。

言い方を変えれば生きるのに最低限のことしかやらなくなってきている。食事、睡眠、少しの運動。これだけ。人間、数日間運動・食事をしなくても死にはしないが、それでも不快感は感じるものだ。一応近所のスーパーやドラッグストアで、電子レンジで調理できる米やカレー、牛丼等を揃えている。しばらくは飢える心配はない。

本を読み終えても書評をまだ書けていない。できることのキャパシティが急に小さくなってしまった感覚だ。大部分を「生活」に持っていかれている。今後収入を得るためにはバイトを始める等しなければならない。それに耐えられるのかはわからない。

今、私にとって問題なのは生活リズムの乱れだ。旧家では乱れたなりにも、一応生活の基盤というものがあった。午前中に始めるブログの執筆、夜8時からのシャワー、10時10分にセットされた寝る準備を始めるためのアラーム。これらは私の生活のペースメーカーとして働いていた。しかし、新居に入ってからやらねばならないことが多くなり、このコアを使うのが難しくなってきた。終わりの見えない荷解きで夜の勉強の時間は蒸発しつつある。私はまだ勉強したい。

要するに私には自分で生活を支える技術と、基盤となる能力が未熟だったのだ。家でネットに繋げる環境がほしいが、どう手続きをしていいかわからない。グループホームには聴覚過敏の方も住んでいるから、工事は慎重に日程を組まないとすることができない。また、通帳の使いかたも実はよく知らない。母からつい最近渡されたっきり、そのままにしている。キャッシュカードについても同様だ。何をどうしていいのか.......そもそも何をする必要があるのか全然わからないのだ。

それでも人に頼ることでこの困難からは脱せそうではある。GHの世話人、管理人、主治医、生活福祉課のケースワーカー。いろいろな人に支えてもらってこの生活が成り立っているのだと、いま、この瞬間にも実感している。私が買って今座っている椅子は、生活保護の家具什器費から出るし、布団に関しても市役所を通じて格安<実質タダ>で買わせてもらった。昨日買った電子レンジもそうだ。後で領収書を出せば幾ばくかお金が出る。それでも、見るときにGHの世話人さんがいなければ購入まで踏み切れなかっただろう。

自立した安定した生活というものは高い塔のようなもので、支えるのには多数の補助が必要なのだと思う。今までは様々な手続きを代行してくれる母がいたが、今では関係ない。以前入院していた病院の看護師が「自立とは依存先を増やすこと」と言っていた意味が少しわかった気がする。

今は最も援助を必要としている時期だ。なぜならばすべて支えがあって高い塔が立っていたところから、支えを一気に失った状態だからだ。生活水準を下げて支えやすくしたり、得られる援助を増やさないといけない。

ただ、今まで通り依存し続けるものがある。インターネットだ。ついったとこのブログ。これには自分の考え方のはけ口としてとても助けてもらっている。自分のまとまらない考えもいざ言語化しようという段階で明瞭になったり、わからないことが明らかになったりする。精神的な依存先。それがこれらのサービスだ。

これからも得られる援助は利用していこうと思う。20になったら障害者年金にも申し込める<生活保護を受けていると事実上意味はなくなるが>。GHの世話人さんには家電だけでなくネット回線のことを聞いたりすることになるだろう。

そして、今これを読んでくれているあなたも。私の文章が読まれているということで、文章をより明確に書こうと思えている。感謝している。ありがとう。

皆の支えがあって、ようやく「自立」できている。


このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった。餌<コメント、いいね>がほしい。サカナたちが喜ぶ。