アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

雑感。最近の生活の変化について

お題はまだあるが暇が欲しい

定期的に<書くことがなくなるごとに>ついったでお題を募集している。最近はそれにのっとって書くことが多くなっている。自分に何か発信したいことはないのか。本は最近よく読むようになった。その要約でも書き上げれば1日1記事安定して書けそうではある。ただ、実感として「それじゃない」のである。書くネタがあってそれを消化していくような書き方よりは、書くネタがあって書きたいから書く。そんな姿勢でありたい。

少し話をそらそう。最近よく本を読むようになった。理由としては、本の読み方がわかってきて、図書館が利用できるようになったからだ。その本の読み方は私がよく言う「からかうようにして読む」だ。ひとつの本にかかりきりになって読むのではなく、短時間<私はポモドーロを単位にしている>に区切って読み、気分でころころ本を変える。私は新書やビジネス書等を情報を得るために読むことが多いからこの読み方がうまくはまった。短時間で集中して読めることと、いろいろな本を同時進行で読めるからいろいろな本を参照しながら読めるのだ。これはいい。これをやるときに注意したいのは「重い本」と「ラクな本」を区別してうまくブレンドすることだ。重い本ばかり読んでいると速度が出なくて本を読むこと自体から逃げ出したくなる。適度にラクな本を入れることで読書を快適に進めることができるのだ。

ブログを書くことも同じようなものなんだと思う。書かなければいけないとか書くべきネタを書くときは、書きたいことを書くときと比べて心理的なプレッシャーがある。好きで書いているはずのブログなのに苦しい。適度な負荷なら脳トレの一環なのだと納得もできよう。ただそれも長く続くとなると、読書と一緒で逃げ道が欲しい。だらだらと思ったことを綴る、書きたいことをひたすらに打ち込む。それがこの記事である<ここまで先延ばししてごめんね>。前後関係はめちゃくちゃかもしれない。支離滅裂かもしれない。思ったことをそのまま最近起きたことに対して書こうと思う。それでもよければ読んでくだされ。普段のブログも毎日1トピック見つけてきて自分なりの考えをまとめるのと、お題に乗っかってやるのとに分ければいいのかもね<名案>。

家庭内の環境の変化

妹と母の仲が目に見えて悪くなっている。今月19日の喧嘩からどんどんエスカレートしているような気がする。19日の喧嘩は妹が皿を洗わなかったことから始まって、<妹の父親に払わせている>塾代に対する非難を経て髪が長いことに対する不満が爆発する形だった。その際に「お前の髪なら私が切ってやる!」とのたまってはさみを持ち出したのがよくなかった。髪を切られたくない妹はもちろん抵抗する。はさみを取り上げ、髪を引っ張る母を振り払うようにもがく。結果、持っていたはさみが母の腕に切り傷を多数作ることになった。母に言わせれば「私が刺された。私が被害者だ」とのことだが、親に刃物をむけられる気持ちを考えてみて欲しい。悪いのは母ではないかと思う。話し合いで解決できずに苛々して怒鳴り、暴力にうったえる。もう少し話し合って解決するスキルを磨いて欲しい。妹は自閉症アスペルガーの疑いがあることがわかっている。東京小児に行かなくなって、診断名は取り消されたらしいが、その傾向は今でも見られる。喧嘩の原因もそこにあると思われることが多い。妹がいることと、私が男性であることからか私は直接の被害者ではなくなった。しかし2人の喧嘩を仲裁するのも疲れるし、怒号を聞くと心が不穏になる。どの道この家は3人にとって良い環境ではない。幸い<?>今回の喧嘩は風を通すためにドアと窓を開けていたこともあって近所に聞こえる環境だった。そのため後日市役所に赴いたときに喧嘩の内容をケースワーカーさんに報告しておいた。私が家にいる間に母との不和を起こす可能性があるため、グループホームが決まるまで情報の提供元としての私の身分は伏せてもらっている。私はそこまでできた人間ではない。妹を犠牲にして保身に走っている自分が嫌になる。しかし、ワーカさんと話したことで妹の学校の副校長から妹に関する報告があがっていることを知ることができた。その情報と今回の喧嘩がきっかけで妹は児童養護施設に入ることができるかもしれない。死ぬよりは良いだろう。本人も死にたくないようだし。母も妹に向かって「施設に行け!その前に障碍者の施設かハハハ」なんていうようになった。我が家崩壊の時は近い。

読書できるようになった

図書館を利用できるようになって、沢山の本を読めるようになった。今までは本は所有して線引きしてなんぼ見たいなところがあったが、それを払拭。沢山の本に出会って自分の琴線に触れる部分、エッセンスを集めるのが良いと考えるようになった。具体的には簡単な要約と自分に強く残った部分を一行でまとめるノートを作って本棚代わりにすることにした。沢山の本を持って、何年も開かないよりはノートに出張版本棚を作るほうが良いとの判断。 ?自分の好きな部分しか残らない読み方では成長につながらないのではないか?。 !あくまでダイジェストとして残すのがエッセンスというだけでほかの部分を捨て去るわけではない。新書などでは毎回<自分の興味ない分野e.g.『タコの知性』においても>興味を持って知見を広めることができている!。 また、沢山の本を読むにあたってコツをみつけた<前述のラクな本と重い本のブレンド>ため、うまく習慣に落とし込むことができそう。まだ本当に重い本は読めていない。カントの『純粋理性批判』にどこまで立ち向かえるか。それが問題になりそう。あくまでからかうように読む。このスタンスでいこう。

その他諸変化

友人との作業会が1時休息に入った

夜に作業会をしていた友人から連絡があり、しばらく作業会ができなくなった。今まで1日何もできなかった日でも最後の砦として存在してくれた作業会がなくなってしまったのはとてもさびしい。ついったに作業の報告、ついきゃすの利用<検討段階。沈黙が続く恐れ>で代用できないか考え中。今は本を読めているためそこまで切羽詰った課題ではないが、アウトプット先や議論相手として優秀だったから元に戻したい。

将来観の若干の変化

将来に対する見通しが「非常に悪い」から「よくわからない」になった。今までは決して楽観できるものではなかったが、グループホーム<GL>の見学が2件決まったことで、自立への道筋が少し明るくなった。惰性で進むのは癪だし、したくないが「よくわからない」まま将来へのステップを歩まされている今日この頃。妥協を決め込んでる5年間だからまだ良いが、25歳以降にこんなことがあったら絶望<対象はおそらく私自身>して自害すると思う。こういうセンサー働かせるの大事よな。凡庸に終わってしまいそうな予感。何とか払拭したい。大学に行けるのは何年後になるだろうか。友人がしているように「延命のための大学」は私はできそうにない。

終わりに

一通り書いてすっきりした。3ポモドーロ消費して、きりが良いので終わる。感想等もらえるといろいろはかどる。やはりガス抜きは大事ね。定期的にやる。このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった