アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

三平方の定理

来春の都立入試から三平方の定理とか関係代名詞が除外されるようだ。コロナの影響が受験に顕現化した初めての例ではないか? 今後事態が悪化して受験自体がなくなるとかそういうことにならないことを祈る。コロナとともに生活を営むようになると私は思うのだが。

私は数弱である。どのくらいの強さかというと都立の偏差値50やそこら<今は61といわれる>の理系高校で、数学ⅠAⅡBまでは5、数Ⅲで4をとる程度の強さだ。模試とかでは偏差値65も行かなかった気がする。数学の表面上の面白いところで遊んで、演習はあまりしないでテストもノー勉。こんなことをしていたら数弱になってしまった。そんな数弱の私だから、三平方をいつ習ったかなんて覚えているはずもなかった。体感では小学校で習った気がするのだが、中学校だったか。小学入ってまもなく『数の悪魔』と格闘したり『Mathpedia 1000』が出版されてまもなく手に入れて読んだりする程度には数学好きではあったが、演習しないものだから数弱のままだった。知識の海におぼれてどこで習うものかも忘れてしまっていたのだ。

今回のニュースを見て自分が三平方の定理の証明をいまひとつ思い出せないのに気がついた。知らないものを今まで使っていたのかと不安になりユークリッド原論と同じ証明正方形を使う証明<ページ内1番目>の2つを確認した。正方形のほうは高校で自分でやっていたな。なぜ忘れたのだろう。しかし、中学校で習った記憶はない。中学校ではひたすら定義の確認をさせる先生と教科書をただ読み上げる先生の2人がいたが、三平方の定理は後者に習っていたようだ。まあ、こんなことをここで言っていても仕方ない。わからないと認めたら自分で調べる。今回はこの姿勢が確認できただけでよしとしよう。今後に生かせれば問題ない。

今回の受験における出題範囲の変更は中学生を分断する上で大きな意味があると思う。ひとつは試験から外れたから勉強しなくてよいと放棄する狡猾な生徒。ふたつめは結局習うからと授業の中で理解しようとする受動的な、でも学習する生徒。みっつめは今回のニュースを受け、表面上だけでも三平方の定理に触れて学習意欲を高める生徒だ。ひとつめの生徒も受験戦略としては間違っていない。むしろ時間内に最大効率を出すためには正しい判断ともいえる。しかし、長いスパンで見たときはどうだろうか。私は知的好奇心旺盛な生徒のほうが得られる学び、定着の度合いは大きくなると思う。若干の飛躍を伴うことを覚悟で言わせてもらえば、知的好奇心にあふれる生徒のほうが知識が多く入る。知識が多く入ると話にも幅が生じてもてる事にもつながるのではないか。なんて考えてしまう。スペックが同じなら知識のある人のほうがよい。私はそう思う。何の話をしているのやら。

自分がどちらかというと知的好奇心旺盛<注意力散漫とも読む>のタイプだから考え方が偏ってしまっているという自覚がないわけではない。それでも。同じものを見てひとつのことしか思いつかないよりは沢山のことが思いつけたほうがよいではないか。さまざまなことを学ぶとそれだけ物事を見る切り口ができる。どれをメインにするかは自分で選べる。選択肢は多いほうがよいではないか<多すぎる弊害としては選べなくなることがあるが>。そんなことを三平方の定理が受験範囲から除外される当事者なら考えるのかもなと思った。やはり私は受験生適正が低い。学びたいことをカリキュラムに関係なく学べる仕組みの学校、サービスを作れたらなとおもう。

このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった