アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

セクシャリティとフェミニズムに関して思うこと

そもそも私は......

セクシャルマイノリティかもしれない。恋愛関係の話をするときに、同性の相手も対象に<薄ぼんやりとでも>なる。友達と恋人の境が良くわからない<というか設ける必要を感じない>。ワンピースとかスカートとかそういう服装が好きだ。同性との性交をイメージして〇慰したことがある。どんな要素があればセクマイなのか定義がされるのかは知らない<きっと、まだされてないだろう>。でも、まあ、こんな考えを共有できる人は少ないわけで。性的な話をするときにマイノリティになるのは私の常といったところだろうか。母校<共学。男女比2:1くらい>で会うたびにハグしたり腰に手を回したりしてくるアイツ<男性>はシスジェンダーでデミセクシャルだった。何だこれは。少し期待してしまっていたのに笑 銭湯に一緒に言って体近づけたときの「いや、やっぱり自分はそっちじゃなかったわ」というセリフ。あれほど驚いた瞬間は今まででもなかっただろう。私は同学年に知り合いが沢山いたが、アイツのようにわざとキャラを演じている奴もいれば、本物も当然いた。留年する前のクラスにはトランスジェンダーの人がいたし、留年後の学年にも少なくとも3人はセクマイがいた。

いろいろな奴がいる

とそういうことだろう。セクマイかと思ったら違った。ノーマルかと思ったらセクマイだった。こんなことはざらにある<当然定義にもよるのだが>。その人の経験に基づいてジェンダーは十人十色に決まるのだろう。たいていの人が属する性的マジョリティ、シスジェンダーもここですこしずつ異なる性だと考えられよう。ジェンダーは社会的な性といわれるように、生来のものではなく、社会で生活するうちに形作られていくものなんだと思う。社会的な地位や関係これらがジェンダーの形成に大きく関わっている。そんな気がする。心のせいの入れ物である身体が男か女か。心の性が男性、女性、中性、無性、はたまた別の何かか。私はトランスジェンダーといっても心の性が完璧に女性であるわけではない。感覚でいうなら男女比は4:1。男性優位なのだ。発現するタイミングはわからないが。こんな風に比率、性的志向性的嗜好まで細分化したらマジョリティなんて存在しないのではないか。シスジェンダーでペドフェリアな人はマジョリティになりうるか。ならないと思う。性癖でも分割されるのだ。暴論なのを承知で言わせてもらうと、一人一性<ジェンダー>とも考えられる。言語に落とすときにシスジェンダーに落ち着く。それだけの可能性も否定できない。なんにせよその人の価値観<それが性的志向についてのものでも>をありのままに受け止めて、あげたいよねって話。

フェミニズムについて

ここで話を変えよう。フェミニズムについてだ。日本で<特についったで>取り上げられるフェミニズムに私は賛成できない。あれは過激で何を求めているかの意図も不明瞭。ましてや男性を無条件で攻撃するような側面があるからだ。しかし、私はフェミニストであると、ここで宣言したい。フェミニズムはもともと女性の地位向上を目指す活動だったはずだ。私は現状として女性と男性との間で雇用の機会の差等が生じていることを知っているし、それを良いとは思わない。すべては能力に応じて公平に裁かれるべきだと考える。この意味で私はフェミニストだ。男女の差これは是正しなければならない。されないと気持ち悪い。そういう意見を持っている。弱者には選択肢を。私のモットーはこれである。もし、女性が女性であることによって不適当な扱いを受けている場合はそれは正されて欲しい。逆もまたしかり、男性が男性であることによって不適当な扱いを受けている場合はそれは正されて欲しい。性差による違いと単純な能力差の違いはわかりにくい。誰にでもチャンスを与えられる共同体的社会。これが作られればとおもう。<おそらくこれは環境等の影響で選択肢を狭められた経験による思考である>。逆に能力差による給料の違いは認められても良いと思う。自給=基本給+出来高。みたいな。とある業種を目指すのは自由だが、そこで稼げるかは能力しだいで決まる。こんな形がよいとおもう。能力差、それだけ。性差では境遇は変わらないというのが私のフェミニズムのゴールになる。

おわりに<セクマイ×フェミ>

上のフェミニズムセクシャルマイノリティとの親和性も高いだろう。セクマイは今のところ社会的弱者である。差別用語で蔑視されることもある<レズくさい、ホモっぽい など>。先の話に戻るが私の考え方の基礎に在るのは「弱者には選択肢を」である。セクマイだからといって制約を受けない社会で生活したいし、そのためにできることがあればやろうと思う。同性婚が認められるのがはじめのステップであろうか。自分もセクマイに属する身として何かできるのであれば協力したい。この記事を読んで「そんなゆるい感覚でフェミ名乗って良いのか」ってなってくれる人がいたらうれしい。そして、もしモラル・信条として差別を嫌うのならもっと気軽にフェミを名乗ってよいと思う。私は今日、この文章を書くまで公にフェミニストであるということはなかった。まだ勉強不足ではあるが、これからもフェミニストであると思う。

このサカナ<思想>のオーナー、もりきよのついった