アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

とある小論文の問題と私のこたえ。<チキンレース>

問題

キンゲームという優劣の決め方があります。チキンとは臆病者のことですね。たとえば、多くの人が見ている中で、二人が別々の車に乗り、崖に向かって同時に直進します。より先にブレーキをかけたほうが負けです。アクセルを踏み続けたほうが勝利します。しかし、ずっと踏み続けると崖から落ち、確実に死にます。 もし、あなたがこういうチキンゲームに参加した亜場合、どのような方法をとりますか。 またこのチキンゲームのような事例を、社会の中で見つけてください。(約800文字)  

私の回答

キンゲーム。ここでは名声につながるという点で勝者に有益であり、敗者に不利益なのだろう。私なら周りの価値観に影響を与えて、ゲームに負けても名声を得るように仕向ける。そもそも理性に手綱を握らせていればこのゲームは成立しない。名声に対するある種の熱狂。これがチキンゲームに勝利することで得られるという幻想が参加者に夢を見させる。勝負に負けつつも名声を得るためにはこの幻想を氷解させなければならない。

そもそも、なぜチキンゲームで得られる名声に執着するのだろう。チキンゲームで得た名声など一過的なものだろう。チキンゲームは何度も行われ、ある勝者の名声はその後の勝者に取って代わられる。これに命を懸けるなんてアホなのではないか。そして、チキンゲームにおいて勝利の美酒に酔えるのは生存者のみである。当然崖から落ちた途端に英雄になれるわけではない。何度も名声を得るために命を懸けて戦う。さながら食べるのを忘れてドーパミンを出すレバーを押し続けるネズミではないか。その状態下では彼らの頭脳は鳥のそれにすら劣る。チキンになるまいとして自らチキン以下になっているのである。

次に、なぜチキンレースは存在するのか。それはおそらく気持ち良いからだろう。前述の<泡沫の>名声もそうだが、レース中の彼らはきっと楽しんでいるはずだ。ドーパミンをはじめとする脳内物質が大量に放出される高速運転。差し迫る崖の淵。上がる心拍数。相手の車のスピードも競争心を煽る。これを乗り切ったときの気持ちよさが生存者の中で語り継がれこの奇妙な文化が存続しており、小論文の問題になるまでしているのではないか。少なくともこの珍奇なゲームに参加するのは常人ではない。この生産性のない気持ちよさに逃げることのできる、悪い意味で選ばれた人たちだろう。

仮に私がこのゲームに参加するならばスタートと同時に車を降り、ゲームを終わらせる。そして上記の理論を展開する。オーディエンスは私を非難するかもしれない。しかし理性的な人間がいればこれが正しいと再認識するであろう。この理性的な人の評価。これが得られた時点で私はゲームから利益を得ている。ある意味で勝っているのである。

社会においては皆で無意味なことをしてしまうという点で、噂に乗るという事例が挙げられる。これは噂においていかれまいとして自分もまた信じ、噂を流してしまうことだ。この事例においても噂から一度身を引いて理性的に考えることが必要だと考える。そこで正しい情報を得て、正確に行動することで時間やコストのロスを防ぐのだ。

終わりに

ハイ、文字数が超えているんですよね。どこを削るか、ああ難しい。まあ、作文の練習だと思えば良いよね。このサカナ<思想>のオーナーもりきよのついった