アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

数年ぶりの桜。その魅力は何か。

久しぶりに随筆

↓本文

桜。この時期になると世間を明るく色づけて盛り上げる、黒子。いや、主役級の脇役かもしれない。最後にしっかりと見たのはいつだったろうか。少なくとも、昨年と一昨年は見ていない。気付いたら青々とした葉をまとった桜が堂々と仁王立ちしていた。桜と聞いてイメージされる、しめっぽく、艶やかな静けさはそこになかった。からっとした元気の良い空気とそれにあわせたかの静寂。それがあった。3年前だったろうか。もう忘れてしまった。時期は忘れたが、最後に桜を見たときに口から漏れた言の葉は良く覚えている。「こわい」。これだ。

ちょうどその頃、花粉が水についたときに管を出す<花粉管だっただろうか?>ことを学んだのだった。まるで動物の精子のようでぎょっとした。そのときにすっと、虫や獣、風をたくみに利用して繁栄する植物に対する畏怖の念が植えつけられていたように思う。それにしてもだ。今考えてみても、桜に対するおそろしさは他の花の比較にならない。ハエトリグサやウツボカズラもこわいが、桜と相撲は取れない。圧倒的に桜がこわい。何がそうさせているのだろうか。考えてみた。桜の木の下には死体が埋まっているから?馬鹿らしい。掘り返して、散々起こられたじゃないか<根っこしかないことは確認した>。夜のぼんやりと人を誘っている感じ?それは、ある。だが、本質的なものではないように思える。

思うに、桜の持つ支配力<日本中が桜に多少なりとも酔わされている。ワニの影響もあるだろうが。>、雄大さ<大木が多く、呑まれそうになる。>そして転身の鮮やかさを併せ持つことで恐怖の対象になっているのだろう。他に、そのような花があるだろうか。チューリップ前線?梅<梅雨ではない>前線?そんなものに興味を持つ人は少ない。ひとつひとつの花の形はそろっていて、房となる。房が合わさって雲となる。花雲に囲われれば、人の気分も浮かれよう。私ならば、死んで養分になってやってもいい。そんな気持ちにさえなる。藤にも近しい気持ちを覚える。が、桜には敵わない。それでいて、桜の花はすぐに散ってしまう。1年間の中の数週間。それだけなのだ。この、身の引き方も絶妙だ。冬の老人のような姿から、ぱっと花魁に変化する。それもすぐに若々しい青年へと変わり、秋にオシャレな服を着こなしたかとおもえば、老人の姿に戻る。この循環もまた、恐ろしい魅力なんだと思った。

桜の魅力。それは私にとっては 彼/彼女 らの持つ恐怖なのだろう。今、街灯に照らされて妖しく紫色に輝く桜を見て、そう思う。捕らえられない美しさが勢いあまって恐怖の対象となる。夜遊びなんてしたことないのに、夜の桜に一人、新宿のNo1 キャバ嬢を指名した気になってる。お勘定は......あなたの命です。なーんちゃって。まあ、命を請求されても支払えてしまう魅力が 彼/彼女 らにはあると思う。だから昨年も一昨年も命惜しさで見なかったのかもしれない。しっかりと見てしまった今年はどうだろうね。命まではとられまいが、何か恐ろしい目に遭いそうだ。

人間が「猫は人間を支配している」と冗談で言う<これは人間が支配しているという前提があって成り立つ冗談だから、私は好きではない>。同時に、桜も 彼/彼女 らのルールにおいて我々を支配しているのかもしれない。とおもう。あの美しさも宴の食べ残しを狙った生存戦略である可能性も否定できない。その意味で我々人間<日本人>は既に操られている。他の花でも言えそうだが、いかんせん桜は規模が大きく、影響を人間が認知できる。数年後、桜のために命を落とす者があるかもしれない。ちょうど今年私が 彼/彼女 らに養分をあたえるように。

20200324(Tue) もりきよ