小サカナたちの群影 その2
なんか、やはり私も友達コレクション<高位の次元。環境>によって作られた存在なのではとか考えてしまう。 https://t.co/JqQQV7RrVG
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月23日
ありがたい。読んでもらえるのかなりうれしいんです。実は。
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月23日
わたしも「メモ書け」って言う人苦手です。私が大事だと思うことはメモしてるんだよ。って気持ちになりますね笑
たまに、動かなくて、しゃべらなくって、見えなければ好きになれる人がいるよね。
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月24日
嫌いじゃないんだよ、好きになるのに条件があるだけ。
まあ、めったに出会えるものでもないのだけれど。
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月24日
そんな人とうっかり会っても、30分くらいは無難に場を持たせる余裕とスキルを持つこと。これが社交性をあげる過程なのかなとふと思った。 https://t.co/LXoG1PW8dB
アウトプットはもやもやしたものを出力。はっきりした形で入力する作業。アウトプットはインプットを包括しているから、学びがはかどるのも当然。という風に落ち着いた。
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月24日
母がコロナ菌って言うから、コロナウイルスだよとしてきした。違いはなんだと問われて、ウイルスは自己複製できないと答えた。
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月24日
その後自分のアクアリウムの中で、菌どころでなく人間も環境や他の生物がなければ自己複製できないことに気がついた。私の中で生物はいなくなった。
アイデンティティを自分に求めるのが間違いなのでは。各個で入力に対して出力しているのを、周り見て「これが彼の人格だ」なんて言う。周りの人の中に自分像はできても自分の中に自分像を作るのには無理が有る気がする。ゲームのキャラはプレイヤーを操れない。自我を認めた時点で我見。離見はできない
— もりきよ (たまに「もきりよ」) (@Morikiyo_ryuei) 2020年3月24日