アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

学びと勉強。私はこう学びたい。

今日は私が「こういう風に学びたかったなあ」とか、「こういう形態の学校があったらなあ」と思ったことの断片をまとめていこうと思う。カリキュラムどおりの勉強が嫌いでもなぜか成績優秀者として表彰された私。何を考えているのかしらん。はじめに「学び」「勉強」「教養」の定義をしておこう。

学び:日常的なことから学術的なものまで、身につけられたスキルや知識。そのすべて。

学ぶ:学びを得ること。

勉強:学校や義務感から要求されて、無理やりしなければならない学びのこと。

教養:学びのなかでも勉強外のもの。(特に)いろんな人が得ている学び。

各自、学びたいものを学びたいだけ学ぶ

基本はこの姿勢である。「まなぶはまねぶ」なんてことを言いたいのではないのはもうわかったと思う。遊ぶように学ぼう。ここに規則はない。普通に過ごしていても、りんごの皮のむき方とか学びは転がっているんだ。目的は問わない。勉強で習う範囲も学ぶ中で獲得すれば無理に格闘しなくてもいい。背後からヌンチャクでめっためたにできるんだ。大体の範囲なら。

上で「学びのすべて」は全集合です。タイトルではないので、そこは注意。

ここでうれしいのは学ぶことにかかるコストは勉強と比較したときに、低いってこと。やらされているっている強制力がないからのんびり知識を蓄えられるし、カリキュラムがないから余計なものを<私はそんなものはないとおもうが>一旦無視することができる。学ぶって、学びを得る方法として、ハードルが一番低いものだと思う。

どんな教育がいいか

これを踏まえたうえで、いろいろな人が参加できて多くの学びを得る。そしてそれを社会に還元するのをゴールとして定めてみよう。社会に還元するにはモノがなくちゃしょうがないよね。みんなに学びを得てもらいたい。ここで勉強させるぞってなっているのが今の日本タイプ。義務教育。カリキュラム。.......だよね。 

じゃあ、学ぶ重視の仕組みをつくるか?しかし待てよ?学ぶって確かに門戸が広い。加えて、好きこそ物の上手なれ理論で専門家もできやすそう。それはよいけど、個々人で興味を持つ分野ってばらばらだから、統率が取れない上に、器用貧乏を大量生産してしまうのではないの? たぶん正しい。みんなをアカデミックな方向に誘導したいわけではないのだけど、読み、書き、計算、検索、議論のYGK3<いま作った>は何を学ぶにしても必要になるスキルだと思う。だから、ここの監修はきちんとやっておけばよいのではないかと思う。このあたりを小学校の中学年までに完成を目指す。はじめは読み書き計算をカリキュラム的にやって、テストで身についたかを確かめる。検索議論は、その後に、さまざまな分野があることを示した上で<選択肢の提示って大事>その人の興味ある分野についての知識を広め、深めていく。似ているところに興味がある人がいれば情報交換をするように仕向ける。こんなことを小学校ではやればいいのではないか。たまに社会、理科の基礎的な知識について検索する日を設けたり、文系理系<そのときにはなんとなく分かれてきているだろう>で意見交換をうながすとか。ここまでを小学校で、やる。

続いて中学校。多様な知識にあわせて、科目を用意しておきテストする範囲をあらかじめ示しておく<テストは毎年文科省に作らせるとか。飛び級可能。>。授業の時間は検索<読みの発展>、議論、発表<書きの発展>で進めておく。成績はテストのできと提出物を学期に二回用意しておけばよいだろう。

高校。中学と同じ。ただし、高卒認定を取ったら、外部と連携して学びを追及してもよし<大学や企業等>。

大学。行ったことがないから、実態を知らない。議論が多く、得られる学びが多いならよいのではないか。

こんな場所が欲しい!

高校:高卒認定獲得を目指す高校<?>は多い。これに、獲得後の期間好きなものを学ぶ機会を加えて欲しい。受験勉強をしながらも学びを深めて広げたい人入るはず<少なくともここに1人>。これを大々的に、議論、内部発表会とかを含んだ<学校>法人としてやって欲しい。

自習室:今でもあるじゃないか、自習室。ああ、あの1,000円/1時間くらいのところね。もっとコスパがいいところがほしいのよ。論文誌がおいてあって、ディスカッションできる部屋もあって、ドリンクバーもあって、最新の本が満遍なくある。これにだったら2000円払っても行きたいよね。議論だ。本だ。ドリンクバーだ。足りないのは。

もりきよの場合はどうだったのか

幸いなこと私はによい頭を持って生まれました。電車で聞く音を紙におとしたいという理由からひらがなを勉強。<ここで薬が入る>。東京メトロ東西線の名前一覧を切符風にひらがなで書くという芸当を2歳<母談>でやってのけています。興味の方向が分散しがちなもりきよは小学校入る前<児童養護施設時代>には施設の裏にあった坂で石器を作るなどをしていました。その後も、順調に興味のある方向<ある種の私に言わせればそれは環境への反射のようです>を広げていきました。メモリースポーツ、英語、音楽、東方、サイエンス、折り紙、工作、ポスター作成、パズル、運動、読書、紙飛行機、文房具などなど。やっているうちに気がついたんです。ああ、今<授業中>やってるこれ、前にもやったことあるじゃん。って。いつの間にか 勉強∈これまでに得た学び になっていたみたい。それに気がついてから上記のような場所が欲しくなったのだと理解しています。やりたいといえばできる環境にあった。と言うとそれは嘘です。うまく屁理屈で逃げ道を探して、それをやっていた感じ。そのためにこんなに偏屈な人間ができたのだと思います。「やりたいことをできる環境」「さまざまな選択肢を平等に提示して、選ばせる環境」が私のような人間が学びを深めひろげるのにベストです。なにかの参考になれば幸いです。

終わりに

どうでしょうか。こんなのあったらいいじゃない、っていうのを書きました。私目線で書くあまり、取りこぼしも多そうですが、賛同してくれる方もいるのではないかと思います。ではまた、他のサカナでお会いしましょう。

このサカナ<思想>のオーナーもりきよのついった