アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

小サカナたちの群影 その1

趣旨

1本の記事を書けるほどではないけど、形として残しておきたい。そんなサカナをまとめました。定期的にやります。ついったは流動的過ぎて考えを残すツールには向いていない。140字未満のものは「ああ、残したかったんだな」とガリウム<セシウムでも可>が溶け始めるくらいの温度の視線で見てもらえると嬉しい。

やらなければ良かったこと

もりきよは何度か「やったら気が狂う」と言われていることを実践したことがある。夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読んだり<普通に面白かった>。鏡に向かって「おまえは誰だ」って言い続けたり<結構気持ち悪いけどできる>。でも、思春期の私に最も良くなかったのは「自分を演じていると認知したこと」と「イマジナリーフレンドを意図的に、しかし管理体制を作らずに、作ったこと」のふたつだと思う。<ここで薬が入る>。あえて日本人の好きな三本立てにすると、「アイデンティティを過度に追求したこと」

ひとつめ、自分を演じていると認知することについて。なにが母体なのかわからなくなる。演じている自分を認知している自分はだあれ?答えられるわけない。きちんと自分をマネジメントするために外交官役の自分と内政用の自分を使い分けることは有効だと思う。ただ、「○○な環境だから△△な自分を演じていた。今の自分もそう」なんて考え始めるとわけがわからなくなる。論理学でも自己言及は矛盾に陥りやすい。避けられるなら避けるのが吉。ここで知ってしまったなら申し訳ない。忘れてね。無理だと思われるけど。あなたは誰って言われたときに何も答えられなくなるぞ。せいぜい「過去と遺伝と環境の反射によって生まれた何か」としかいえなくなる。さよなら、自我。そうならないためには、自分は自分とありのままに受け入れることかしらね。もうそれができないから、わからん。ポジティブマンにその辺は聞いてくれ。

ふたつめ、イマジナリ-フレンドを意図的に、管理体制を作らずに作ることについて。私は高校1年生のころから意識高い連中と付き合っていたから、勉強熱心ではあった<横道にそれることは多々あったけど>。そこで作り出されたのがきよもりくん。彼は勉強熱心で、まじめ。几帳面。善人。こんなやつを意識の中に生かしながら生活してたわけよ。私が友人とご飯食べているときも、彼は参考書片手に一人でごはん食べてる。私がのほほんと買い物している間も、盲人の人を助けている。まあ、自己肯定感は下がりますわな。常に見張られている感覚。ここら辺から精神的におかしくなったと思われる。と言うか現実と理想の間のベルリンの壁を見せ付けられる感じ。壁は崩壊したけど、こちらの壁はなかなかに壊れない。結局、理想<きよもり>と現実<もりきよ>の差を見せ付けられて抑うつになると。相手を御せると言うなら作ってもいい。ただ、主観はそのまま維持できるようにたくさん決まりごとを作ったほうが良いと思う。

みっつめ、アイデンティティを追求することについて。上のふたつを総括したかんじ。私を私だと証明する何かが欲しかった。HLAB参加したり、ELCAS参加したり、町おこしのイベント参加して賞取ったり、研究したり、全国で23人しか選ばれない海外研修に参加したり、生徒会長もやった。結局、それって人為的なセレクションに通っただけで、私じゃなくても良かったわけよ。スティージョブズがいなくてもiPhoneに近いものはできただろうし。そんなこんなでアイデンティティについて考えるとすべて反射でコンピュータ等で近似解を作れることに気がつく。そうすると自分なんて存在しないと言う発想に至り、それは人生においてよい影響はもたらさない。イスラーム<完全服従>させられている感じ。自己分析は自分はこういう特性がある。と言うところにとどめておくべき。それ以上深掘りしても出てくるのは虚無感ばかり。お勧めはしないね。

やって良かったこと

もりきよは逆に「やったら人生が好転するよ」と言われることもやった。現時点で私なりに効果があると思ったものをここに書く。「考えることについて考えたこと」、「書ヲ読ム こと」、「興味の幅を制限しなかったこと」、「AKDリスト・アイビーリーメゾットの実行」、「物事には因果関係がないものも多いと認知したこと」、「精神病棟への入院」これくらいだろうか。

考えることについて考えること。上の自己言及は矛盾を生みやすいと言う話と食い違っているじゃないか。そう思うだろう。そのとおりだ。結局私は脳の支配を抜けたい別の私と、現実として生かされている私の間で葛藤している。それでも考えることは重要なんだと。行き先がわかっていて、無理難題が待ち受けていても抗わなければ死ぬしかないし<これが最もラクだから>、つらいけど、考えることは自分の人生観を変えると言う点では重要だ。これに関連して、読書。過去にされた思考を繰り返さなくてすむ点で、古典を読むのはすばらしい。読みすぎると自分の考えが何者かの考え方のコピペになるからお勧めはしないけど。理性的に利用できるなら、していったほうが良いように思える。興味の幅を制限しないと言うのもこれに関連する。たくさんのメガネで世の中を選べば、自分の都合の良い見方が見つかる。科学的な見方かもしれないし、宗教的な見方かもしれない。でも、あるとないとは世界の見え方がぜんぜん変わる。ソーシャルなイベントに<疲れすぎないように>参加するのも良い。

ここで話は少し移る。AKDリスト作成・アイビーリーメゾットの実行。これは上の思想的なものとちがって、実生活に使えるものだ。AはAdd、KはKeep、DはDelete。日々の習慣をこのみっつに分類してAとKは実行しつつ、Dはなるべく避ける。こうすることで少しよい<生産性、精神衛生的に>生活を送れる。アイビーリーメゾットは前日の夜に、明日やることを7つ書き出し、優先順位をつけておくと言うものだ。達成できたら、チェックマークを入れる。あるとないとでは生活のメリハリが異なる。日々成長している感。おすすめ。

次。物事は因果関係のないものが多いと認知したこと。みんなストーリーを作りすぎ。脳の機能的にストーリー記憶のほうが覚えやすいが、別の事象は別の事象だと認知できたほうが良い。わからないことは補完するのではなくわからないとしておく。これをすると生きるのが少しだけ楽になる。らくだを水辺に連れて行くことはできても、飲ませることはできない。自分でやることには限界があって、最終的な決定権はどこか別な要素が絡むことが多い。これを知っていると、自己肯定感がすこーしあがる。

最後、精神病棟への入院。これは万人にお勧めできるものではない。そもそも健康な人は入れないから<私はこんなにもまともなのに入れられた。いろんな学びを得たから良いけど>。けれど、私は人生観とか自分を俯瞰的に見る練習はここでできたと感じている。面白い人にも会えたし。なかなかいないでしょう。14歳で歌舞伎町で遊んでる女の子とか、国産ジェットのエンジン作った人とか。病棟内は非常にドラマチック。もし、入る機会があれば入ってみればいい。面白い人と、やばい人と、聖人のように優しい人と。たくさんの出会いが待ってる。IQ高いならいっそうお勧めする。

やらなくてもよかったこと

日記を書くこと。日々を振り返っても読み返さないと意味がない。

これからのもりきよは何処へ

最近思ったのが私は人生を大きな区分で考えすぎなのではないかと言うこと。反射なんて話はマクロであり、ミクロでもある。もう少し一般的な、健康とか政治とかのことを考えるべきなのだと思う。こうしたと気にぽんとサカナができると良いのだが。少しづつ考え方を人間の形した何かから人間に近づけたらと思う。

周りに天才多すぎ説

風海にしろぺんぺん、にしろれいやにしろ高学歴マンが多すぎる。特に風海は付き合い長いから、天才が才能を開花させているのを観察している感じ。ほんとにすごいと思う。他の例も挙げると周りにアイビーリーグの人とか普通はいないやろ。慶応はデフォ。なんだか私だけ取り残されている感はある。後輩に鉄緑会の生徒もいるし。しかし、まずは自立。大学はその後。それが私。どうか私を見守ってくださいな。いつか大成してやるから。まずは GIIFTED EYES入会かな。CAMS受けねば。

終わりに

案外長くなった。もっとライトな話をしようと思ったら、指が止まらんくなった。許して欲しい。IQテスト出良い結果が出たから舞い上がっているのだと思う<言うて141(sd15)>。ではまた、別のサカナでおあいしましょう。

アクアリウムのオーナーもりきよのついった

小サカナにもなれないようなものをつぶやいてます。よろしければフォローしてください。