アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

雨の夕方、窓際にて

夕方、日が沈んだ後のまだ明るい時間。窓際の席。手元にはコーランと解剖書、それからロシア文学。奇妙な組み合わせだなと思う。他人の目から見た自分の姿を想像して、私は冷笑的に頬をひきつらせた。その時、たんっと雨粒の窓を打つ音。視線を上げた先に一筋の軌跡。臆病者のリストカットみたいだと、ふと思った。今の私ならば流れ星もそうみえるのかと考えている間にも、ひとつ、またひとつと浅ましい傷が増えていく。もともと、雨は世界の音を和らげ、輪郭をぼやかしてくれる点で好きだった。今、はじめて雨の暗い部分を垣間見た気がした。クラスカーストでトップの人間が、底辺の私に人には言えぬような悩みを打ち明けてくれた。そんな感覚。雨に親近感を覚え、まるで長年付き合ってきた友人のように思えてきた。しばらくの間、私は雨が傷跡を作るのを眺めていた。10分ほど経っただろうか。新たに傷つけられる部分はもはやなくなり、窓ガラスはドロッピングの技法を駆使したた絵画のようになっていた(raindrops という意味では初めからドロッピングだったのだが)。この後はどうなるのか。普段と違う雨を見ていると感じていた私は、特異な何かが起きるのを期待していた。しかし、その直後、期待に反して、大きく合体した水滴たちが下へ向かって元気よく競走し始めた。いつもの雨だ。あーあ。それなら、もう少しだけ見せてくれてもよかったじゃないか。何事もなかったかのように健気に振る舞う雨を見て、少し寂しくなった。なんとなく、疎外感を覚えた。次にさっきの姿を見られるのはいつになるだろうか。今度いくらでも見ていられるようにガラス板でも買ってやるかな。なんてくだらないことを考えているうちに、雨は弱まり、水滴たちのレースは終わってしまったようだった(短いレースだったのかもしれないし、実はそうでもないのかもしれない)。動きをとめた、吸血中のマダニのような水滴たちが、私をじっと見つめてくる。何なんだ、お前たちは。先程までの好意的な気持ちと裏腹に、私は苛立ちを覚えた。悲壮感も、健気さも、そこには無かった。すっかり死んでしまった水滴たちに嫌気がさして、私は視線を逸らした。雨で濡れたアスファルトが、街灯の光を穏やかに、ぼんやりと反射し、私の網膜を刺激した。少しばかりの後ろめたい気持ちを抑えて、私は意識を窓から逸らし、再度、日常へと溶けていく。部屋には夜の闇と、反射された街灯の光。そこに人工的な青白い光を加えて、私は夜通し活字を追い続けた。先程までの雨のことは、本からの情報に埋もれて消えてしまうだろう。

次の朝、水滴たちは跡形もなく消えていた。

(2020/02/23 Sun)森 龍栄

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