アイツんなかのアクアリウム

「ふつう」の青年の頭の中を駆け巡っているサカナたち。そのスケッチ

とってもさみしい。

ひとりでも満たされていると思っていた。充実した日常を過ごしていると思っていた。けれど最近は寂しさで心が折れそうだ。数週間前の満たされたという実感はいったい何処へ。寂しさをに気がついてからは涙を流すこと抜きには眠れなくなった。ただ寂しい。もしかしたら季節のせいかもしれない。毎年この季節は抑うつ的な状態になりやすい。今年はそれが寂しさとして出てきているのかもしれない。

いままで何度も書いているように私は双極性感情障害持ちだ。いわゆる躁うつ病。薬で感情の波をおとなしくさせてはいるけれど結局人間だから多少の波は残る。そしてそのリズムはあまり変わらない。春に下がり、夏にあがる。秋の暮れに下がってくる。冬の終わりに少しあがる。もっと細かく見ることもできるのだけど、季節で区切るとおおよそこんな感じ。薬による治療を始めたのは今年の春からだが波のリズムの変化はあまり感じない。要するに今は下がり気味だということだ。例年通り精神の不安定さを感じる。

先日のブログでは自分の精神科での診断書<情報提供書>を3枚書き写して公開した。そこでは幼少期の境遇から愛着に障害があるおそれがあるという文言が多く見られた。自分で調べたけれどよくわからなかった。幼少期のネグレクトだったり家庭環境の大きな変化の多さで愛着の形成がうまくいかなかったと判断されたらしい。愛着とはおむつを換えてもらう等の生理的欲求に周りが応えることを繰り返すことで形成される関係のことだ。愛着障害の症状としてはうまく人に甘えられない・頼れないとか、逆に人見知りをせずに誰にでも抱きついてしまうというものがあるそうだ。うーん。私はどちらかと言えば前者かなぁ。その他にも精神疾患を抱えやすく、長引かせやすいであったりとか、安定した人間関係の構築が苦手な傾向があるという。

この途方も無い寂しさにあてられて私は少し実験をした。それは自分が無意識的に作る心の壁を取り除こうとするものだった。心を開くとは自己開示<自分のプライベートな情報を公開すること>だと考えたのだ。私は他者と関係を維持するのがうまくない。それは相手が私と仲良くしてくれるという状況であっても、自分でその状況を飲み込めずにかえって距離をとってしまったりすることに起因する。その時に形成される心の壁を取り除いたらどうなるのかと考えたのだ。実験の中では自分のなかで隠していることなんてなにもないと言えるくらいぶっちゃけた話をも公開した。それこそ逆恨みを買いそうなことすらも。しかし、結局は自己開示は他人を信用することそのものではないことに気がついた。

気づいてしまえば当たり前なのだが、自己開示するからと言って信頼が伴っているかと言うとそうとは言えない。そう、言うなればミラーリングに少しにている。ミラーリングは好意を持っている相手の動作を無意識のうちに真似てしまうこと、または逆に真似ている人に好意を無意識に持ってしまう現象だ。私は前者の話をしようと思う。ミラーリングは好意を持っていると自動的に出るが、そうでなくても意図的に相手のマネをしようとすればできるだろう。好意の伴わないミラーリングもあるということだ。これはカウンセラーとかがあからさまに使っていたりする。これと同様に自己開示も心の壁を取り払わなくても技術としてできてしまう。ああ、気付かなければ「私は自己開示できているから心を開けてる。皆大好き!!」なんて思えたのだろうか。

自己開示が心を開くことに必ずしもつながらないとわかっても、心を開くとはどういうものなのかわからないままだ。相手を自分や周囲の人間に危害を加えられる状況に置いた時にそれを実行しないと信じる気持ちだろうか。特定の人を他の人間と比べて特別扱いすることがいまいちできない。いわば皆に心を開きながらも、皆に心を閉ざしている状態なのだ、私は。誰かが私にだけ相談事をしてくれたりしたらそこに信頼関係を築けるのかもしれない。私が話せる内容はすべてついったに載っけてしまった。相互で信頼できる関係になるには誰かが私を信頼してくれているのを実感する必要があるように感じる。それがきっと「恋人」のような関係になるのだと思う。

いま、恋人がほしいか。答えはイエスである。恋人というものがいまいちわかっていないことは否めないが、あまりにも寂しすぎる。寂しさから乱れた関係になっていくのは健全とは言い難いがそれでも良いのだと開き直りたくなるくらいには寂しい。頭の中を真っ白にしてくれるような経験を求めているのかもしれない。何もかもを忘れてそれに没頭できるような、性的倒錯した関係。きっとそんなものを求めているのだなと思う。寂しい、寂しい。アネロスを買うことから始めようか.......?

私は他者と共有できる記憶が少ない。引っ越しが多くて幼馴染と言える存在がいないのもそうだが、私が経験してきたことを経験したことのある人はとても少ない。だからこそ私はここでそうするように体験談や考えたことを書き残し孤独感を紛らわせようとしているのかもしれない。

生保受給者で障害者だから恋人を作るなんて夢を見てないで現実を見ろという意見もありそうだ。わかる。とてもわかる。私にもこれらを自分のアイデンティティにしたくないという思いはある。でもどうしようもなく寂しいのだ。助けてくれ。

ほぼ誰にでも自分に関する情報や過去、悩みを話すし他人を画一的に信頼する事ができる。その反面自分の感覚には鈍感で本音で話せなくなってしまったり逆に本音で話すあまり傷つけてしまったり.......。そんな私を信頼し、愛してくれる人はいないかな。私、寂しいです。


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もりきよの3枚の診断書・情報提供書。

私は双極性障害を持っていて、今も精神科の病院に通っている。診断名は適応障害うつ病双極性障害というふうに変わっていったのだけど、それぞれの病院での診断書等を見る機会は当然なかった。しかし、それが転院やらなんやらをするときに手に入った。本当はしないほうが良いのだろうけど、コピーを取らせてもらったのだ。今日はひさしぶりにブログを書くリハビリ的な作業として、その診断書たちを写していきたい。障害者手帳取得用の診断書が個人的にはいちばんおもしろかったのだけど、それは紛失してしまった。昔使っていたiPhoneに画像フォルダとして入っているのだろうけど、そこまで漁るのは面倒だ。気が向いたらやる。

①診療情報提供書 某国立の精神病院 メンさん先生

患者指名 もりきよ

患者住所 東京都東大和市XXXXXXXXXXXX

電話番号 XXX-XXXX-XXXX 職業 

傷病名 気分変調症<双極性障害の疑い>

紹介目的 ご加療のお願い

既往歴及び家族歴

症状経過及び治療経過平素より外変お世話になっております。当該患者様の診療情報をお伝えいたします。今後のご加療を何卒よろしくおねがいします。以下余白。

現在の処方

別記

備考 別紙ご参照ください

【主訴】

気分が落ち込む、食べても吐いてしまう

【既往歴】気管支喘息、精巣捻転

【家族歴】

母方の祖父:暴力的で、母が血まみれになるほど暴力をふるい、家はめちゃくちゃだった<母曰く>

妹:「みんなと同じことができない、話を聞いていない、とよくいわれた。都立小児総合医療センターで自閉症と診断され、5-7歳まで通院していたが、その後通院継続の必要性はないと言われた。人の話を聞かない、自分のやりたいことばかりやる、など変わった点は多いと思うが、現在は普通学級に通学している<母曰く>

【アレルギー歴】食物:なし 薬物:なし

【嗜好】飲酒:なし 喫煙:なし 違法薬物:なし

【生活歴】

 東京都にて同胞2名中長子。周産期に以上はなかった。10歳下に妹がいる。母は23歳で本人を出産した。相手の男性は一回り以上年上で妻子がいた。愛人関係のような状態で出産し、結婚はしなかった。父は本人に半年に一度しか会わず、本人は顔を覚えていない。母は本人がお腹にいる頃から幼児教室に通い、1歳になる前から英語、乗馬、フットサルを習わせていた。始語、始歩の遅れはなかった。本人は1歳過ぎから、電車に乗ると駅の名前を勝手に覚え、漢字で切符を作って遊んでいた。4歳まで習い事を続けていたが、父が逮捕され<殺人>、江戸川区内で転居した。父からの仕送りが滞り、母はヤクルト販売員などの職に就いたが精神的に不安定となり、育児できなくなった。半年ほどで施設に本人を預けた。本人は5歳から7歳まで施設で育った。とても優秀な子供と評価されていた。小3の頃に家に戻り、小4で母が再婚し3人暮らしになった。義父は本人だけを別室に置いて冷遇するなど十分な愛情を注がなかった。やがて妹が生まれたが、義父から母への家庭内暴力が強まり、妹出産後3か月で両親は離婚し、母子3人で避難するように転居した。婚姻期間は実質半年で母の金は義父にすべて使われていた。

小4以降も学校への行き渋りはなく、施設時代からやっていたサッカーを続けていた。小5で都営住宅に引っ越し、小6で地元の小学校に転校した。成績は女王位だったが友人と馴染めず孤立していた。

地元中学校に進学し、バドミントン部に入部した。授業に行けなくても図書館で勉強しており、学年上位を維持していた。中1時代から希望していた理系の都立多摩科学技術高校に入学した。

【通学歴】

小1~2:つくばの公立小学校 施設で特定の児童にいじめられていた

小3:江戸川区の公立小学校

小4~5:台東区の公立小学校

小6:東大和市の公立小学校 「友人の名前を覚えるのはめんどくさいから覚えない」といっていた

中1~3:東大和市の公立中学校 成績は上位 新入生代表挨拶 バドミントン部

高校:都立多摩科学技術高校

【現病歴】

 中1の頃、しばしば起立時に意識を消失し、母が保健室に呼び出された。当時は起立性低血圧といわれていた。

中2の頃、時に気分が高揚するようになり、周囲からテンションが高いと言われるようになった。気分の変動、睡眠欲求の減少を自覚したが、自然に寛解した。当時は3日ほど上機嫌な日が続き、その後普段の状態が数週間から1か月続いた。

中3から高1の春先までも同様の変化をしていた。高1の夏休み前に抑うつ的になり、自責感、漠然とした希死念慮が生じた。

高1の秋、さらに抑うつ的になり、億劫で勉強に手がつかなくなった。

その後気分良く過ごせる時期と、落ち込む時期を何度か繰り返した。

全体として憂鬱な状態が多く、そのなかで上がり下がりを感じていた。

高1の頃は生徒会の副会長をやって高2当時は生徒会長を努めていた。

高2の夏休み中に1週間のベトナム研修<自ら小論文を提出し、都内で1人の枠に選ばれた>に行き、京大の公開講義<エルキャス>に応募し、月2回京都まで新幹線で通っていた。

高2の7月頃から朝が起きれなくなり、1限に遅れるようになった。

夏休み明けの2学期<9月>から症状が増悪し、遅刻、欠席が目立つようになった。

高2の8月頃に「自分はうつだ」と母に訴え〇〇〇クリニックを初診し、アルプラゾラムが処方された。不安なときや涙が出る時に効果があったように思えた。

次第に食思不振が増悪し、食事をしてもすぐにトイレで嘔吐するようになった。

当時リストカットをすることもあった<不詳>

精査加療目的に2017年12月12日に当院を初診し、12月22日に任意入院した。

【入院~退院、通院中経過】

# 抑うつ状態<双極性障害の疑い>

 #1-1 葛藤的家族関係

#2 嘔気、嘔吐

2017

12/22 任意入院

2018

01/09 病棟より登校開始

01/22 家人、本人と面談。休学の方針。

01/29 気分高揚、多弁、アイデアが浮かぶ

02/02 軽躁様状態は改善

02/13 本人曰く70% 客観的に見て平常

03/02 退院


 入院時の症状としては抑うつ気分、不眠に加え、嘔気、嘔吐が見られた。入院後制吐薬を使用しても症状は改善しなかった。

不眠に対してフルニトラゼパム1mgを一時的に使用し改善した。

心理監査は、BDI32点程度のうつ状態であり、MMPI、バウムテストでも同様の抑うつ傾向、エネルギーの低下が示唆された。

 WAISはFSIQ:120、VIQ129、PIQ:105と、知的には十分保たれていたが、回検査では多少のばらつきが見られた。

 PARSは幼児期ピーク、思春期・成人期ともにカットオフ値を下回っていた。

 当初正月休みがあけて学校が再開するまでの入院を予定していたが、症状改善が不十分で、薬剤調整、環境調整を要すると判断し、しばらく当院より通学して様子を見た。

 学校から帰ると毎日「今日もしんどかった・・・」と訴え、抑うつ気分や嘔気嘔吐の改善は限定的であったが、情動の不安定さは徐々に改善し、全体として症状改善傾向にあると判断した。

 2018年1月22日に本人、家人、担当看護師、外来主治医、病棟主治医で面談を行い、無理せず休学することを提案し、本人も同意した。面談中、医師に対して「学校でmajorityと同じように振る舞うのが疲れる」「学校は図書館があったり実験ができるのは良いが、それ以外にメリットは感じない」と述べた。

その後、嘔吐は次第に改善したが、てんじて気分高揚、多弁さが見られるようになった。医師に対して今後やりたいことを饒舌にプレゼンしたり、デイルームで他患と談笑していた。

 その後きぶんこうよう、多弁、食欲亢進が持続したが、復学に関して母や祖母とすれ違いがあり、軽度なうつ状態になった。

 2月26日に学校側から留年が通告されたが、母の動揺とは裏腹に、本人は大きく乱れることはなく、受け入れていた。その後も症状は安定し、3月2日に軽快退院した。

 気分、情動に周期的な変化が見られたが、操作的に双極性障害と診断する程度のものとはいえず、当時の年齢を考慮しても、内因性の気分障害とあえて診断せず経過を見る方針とした<葛藤的家族関係、愛着の問題を抱え、それに思春期葛藤が加わった状態として、力動的に説明できる範囲と考えていた>

 退院後は当院通院を継続していたが、処方は退院時と変わらずロフラゼプ酸エチル1mg飲みだった。経過を通して気分安定薬抗うつ薬は使用しなかった。

学校の成績は教科によっては220人中1位と優秀で、進学について前向きに話し合うことができていた。

 退院後、明らかな躁病エピソード、うつ病エピソードは認めなかった。

 2018年8月27日を最後に当院への通院を自己中断し、現在に至る。

②連携紹介状 ボーダー先生

紹介の目的 当院退院後の継続加療について宜しくお願い致します。

病名 うつ病

既往歴 特筆すべきことなし

病状経過

いつもお世話になっております。上記患者様について情報提供させていただきます。現病歴としては小学校時代より漠然とした希死念慮が持続しており、平成29年夏頃<高校2年生>には悲観的な言動が目立つようになり自傷行為を認めることがあった。〇〇〇クリニックを受診したところ入院加療を勧められて某国立精神科病院に平成29年度9月より平成30年1月まで任意入院した。入院中に心理検査も施行されたがASDは否定的であったが回項目でばらつきを認めて回避傾向が強いことを指摘された。

検査結果 

診断は適応障害であり、退院後は動員に数回受診したが自己中断となっていた。令和1年12月に希望していたアメリカの大学入牛を受験するも不合格であったこともあり次第に抑うつ的となり自責的な発言が目立つようになった。令和2年1月より自傷行為などの衝動的な行為を認めて、同月24日には自宅で延長コードの電線を剥き出しにして腹側と背側に固定してタイマーで電圧がかかるようにしている写真を自ら撮影して友人へSNS祖通じて送付したところ、友人より警察へ通報となった。

治療経過

同日に東京都立XX総合医療センターへ緊急措置入院となり、令和2年1月25日に当院へ措置入院となった。入院時は落ち着いた口調で対応しており隔離のみの対応とした。漠然とした虚無感が持続していたが衝動行為には至らずに経過しており、同年1月29日に隔離解除とした。診察時には疎通性は保たれており以前からの家族関係の葛藤を述べることが多く家庭環境などが病状に関係している印象であった。薬物療法は情動は安定して不安感も目立っておらずフルニトラゼパム2mgを使用して睡眠評価は概ね良好である。

現在の処方

今回、令和2年2月26日に措置解除となり、同日自宅退院となった。つきましては退院後の継続加療について貴院を希望されておりますのでご多忙後は存じますが対応の宜しくお願い致します。今後は御本人の希望としては独立を希望されており生活保護担当者や地域保健師などとも相談するように伝えています。

【生活歴】同法2名中第1子長男として出産。異父兄弟<妹:9歳>ガイル。実父は経営者であったが不倫関係である入籍はせず母親と二人暮らしをしていたが3歳字に実父が暴行・違法薬物などで逮捕されて、つくば市児童養護施設へ入所。小学校3年生時に母親に引き取られて江戸川区で同居。その後、母親が再婚するが家庭内暴力があり約半年間でリカオン。以降は母親と妹と3人暮らしとなっていた。公立中学へ進学したが成績は優秀であった。高校へ進学して生徒会長を務めて、特進クラスに在籍するなど優秀であったが高校2年時に留年している。奨学金を希望してアメリカの大学を受験したが不合格であった。現在は高校3年生であり、令和2年3月に卒業予定となっている。

<退院時処方内容>

フルニトラゼパム<2>1錠/1x就寝前

ワイパックス<0.5>1錠/1x不安時頓服

③診療情報提供書 武将先生

診断名 双極性感情障害

【生活歴】 別紙ご参照ください

【病歴】 上に同じ

【合併症】 特記すべき事項なし

【医療的所見】

内因性のみならず家族との葛藤による情動不安定や愛着の障害も想定されている。躁状態になるとか活動になり目的指向性の活動<奨学金な留学など>が多くなりがちであらう。また、抑うつ状態になると不眠が増悪しアームカットなどの自傷行為がある。感電自殺装置を作成し友人に自殺予告の連絡を送ったり、液体のりを好奇心で飲む自傷行為での入院歴がある。2020年2月26日退院後は自傷行為はみられていない。家族との喧騒から逃れるた為に夜間散歩に出ることが多い。不隠時は頓服薬の使用を指導している。家庭に刺激を受けないよう転居が必要だが、内因性気分障害もあり独居は困難。グループホームが適する。

通院日2週に1回水曜日 服薬 朝 夕 寝前 頓服

【本人のグループホームでの課題】

生活リズムの安定、居場所づくり

グループホームへの要望など】

安心できる環境作り

【入居後に必要な配慮】

本人は母と妹の不和に刺激を受けやすく、また①の逮捕などのため愛着形成にも障害がある。安心できる環境づくりが重要。


客観的にみた自分がどのようなものなのかって結構おもしろい。他人の評価を気にするとかではなくて、単純にどんなふうに認識されているのか。自分の知らなかった自分像も見えるから興味深いね。度々出てくるSNS上に写真を送るっていうのは通報しないという期待があったからなのだけどなぁ。結局通報されましたな笑。時系列がおかしくなっていたり、私の経験と若干の差があったりするけれど、そんなものなのかもね。受け取り手だって万能じゃないわけだし。WAISは抑うつでかなり低く出てるんよなぁ。それにメンサン先生は全検査125って言ってたぞ?謎い。いつか機会があればリベンジしたいね。では。

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動画作り面白そうだなぁ。明日も楽しそう。

今日は月曜日。いつも通り母校で仕事をした。今日は少し不真面目な態度で仕事に望んでしまっていたかもしれない。というのも、サポートティーチャーと言って部屋を開放していたとしても生徒はなかなか来ないからだ。同じ階にある1年生の教室を回って、勉強している生徒や雑談している生徒に声をかける。「こんにちは。サポートティーチャーっていうんですけど、隣の部屋で勉強を教えています。私は物理と英語が担当なんだけど、進路とか成績とかの話とか雑談とかなんでもはなしてね~」なんて言いながら教室を回っていくのだ。大体英語の資格試験の話になって話し込むか、私も遊びに混ぜてもらうかして終わる。勉強を教える仕事なんですけどね。お給料をもらっているからには責任持って仕事しないとね。なのに今日はペットボトルのキャップをゴミ箱に入れる競技にハマってしまった。あっちゃー。

そして帰宅。毎日毎日夜はハンバーグにご飯で食べているから流石に飽きてきて、今日はカップヌードルを買って帰った。ついでに中華風サラダも。栄養面から見て私は健康なのだろうか。正直良くわからない。動いている分も食べられているかなぁカロリー計算とか面倒だけど、やってみても良いかもしれない。

夕食を食べ終わったあとはYoutubeで動画を見まくった。大体4時間。普段は動画を見ることはほとんどなくて、せいぜいが音楽を聞きたいがストリーミングで配信されていないときにYoutubeを使うくらいだ。ニコニコ動画にはまるっきり縁がない。最後に見たのはいつだったろうか。チャパティの焼き方を調べたときだから5年以上前だな。中学の時とかはよくYoutubeスパイラルに嵌って抜け出せない事はあったけど、最近はまったくなかった。こんなわけで今の生活で動画にハマるということは珍しいことなのだ。第一うちにはテレビもないし。動画というコンテンツに触れる場がついったくらいしか無い。

今日の動画の見方は音楽だけをきくわけでなし、漫画を読むだけでもない。完璧に動画をコンテンツとして楽しむ見方だった。トーク、そのテンポ、画の使いかた、BGM、さっと出てくる言い回しなどなど。「作り込もうと思えばいくらでも作り込めるだろうこれは.......」という動画の面白さの片鱗を味わった。今日見ていたのは顔出しして実験や検証等をするいわゆる職業YoutuberではないにしてもYoutubeがひとつの大きなサービスになる意味がわかった。いつかやってみたいなと思う。.......地獄のような動画ができそうである。書評系ゆっくりYoutuberとか良いかもしれない。ブログと両立させながらできたら面白そうだ。今月のチャレンジにこれを入れようかな。

さて、明日は祝日だ。グループホームの居室チェックはなくなる。つまり、掃除とかをやる圧力が私にかからない。洗濯物をたたむだけたたんで、ジムにでも行こうと思う。そして、夜には高校時代に参加した京大での講義、ELCAS10期のグループで交流するイベントが有る。よくわからないが楽しそうだ。高校を出て一応社会人<社会に出てない>をやっている自分としては知的交流ができる機会があるのがとても嬉しい。思う存分楽しもうと思う。


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秋も暮れ。10月のまとめ

11月になった。秋ももう暮れだ。もう30日経つ頃には昼も震えるくらいの寒さになって、ダウンコートを羽織ることになるだろう。昨日までの10月は最後の2日間のおかげでとても楽しく、有意義な月だったと思えるようになった。有意義な月だったと思って振り返ると、良い出来事ばかりが思い出される。単純なものだ。でも、つまらなかったと思うよりは良いのかもしれない。少なくとも前向きになれるし、モチベーションも保ちやすいというものだ。

さて、先月何があったのか軽く振り返ろうと思う。といっても印象に残った3つの出来事だけ軽くさらうだけだ。今日の記事はかるく、ゆるく行こうと思う。その3つの出来事とは「Kindleの購入」「1円奨学金への応募」「人生初のオフ会」だ。それぞれ軽く話して、2000文字くらい書けたら良いかな。

まずはKindleの購入。正直財布がカツカツになるから買うかどうか悩んでいたけど、手に入れてよかった。読書するのが格段に楽になった。本の購入はKindleにある本であればものの数分でできてしまうし、どの本ををどこまで読んだのかがひと目で分かるのが良い。パラパラめくったり書き込んだりというのはやりづらいけれど、大量の本をポーチの中に入れて持ち運べるのは素晴らしいアドバンテージだ。携帯性の良さから、「いま空き時間だな」という瞬間にさっと取り出して読書ができる。読書ばっかりして思考をおざなりにするのは問題だと思うけど、主体的に読めるならこれはものすごい武器だ。KindleUnlimitedは登録されている本に読みたい本がなかなか無いのが弱点。けれど、意識的に月2冊位をピックアップして乱読すればもとは取れる。時間は有限と言っても無駄な時間というのも結構多いものだ。無駄な時間が読書に使われるなら別に問題ないと思う。読書の時間が太って生活がうまく回せないということになったらあとから調整すれば良いのだ。Kindle最高!!

ふたつめは1円奨学金への応募。一円奨学金というのは新造真人さんがこの秋に創設した奨学金だ。奨学金応募へのハードルを下げること、将来奨学金を作る人ができるきっかけとなることなどなどを目的としてこの奨学金は作られた。天才ではないか?笑 詳しくはこちらを見てほしい。私自身奨学金を作りたいなぁと思うことはあったので、このアイデアにはとても驚いた。それで、面白そうだから応募してみた。正直収入報告を書かなくてはいけない生活保護の身からすると、この奨学金に申し込んで得られるメリットはそんなに無い。多分収入報告を書く時間と手間を考えると金銭面では確実にマイナスだ。得られる恩恵はせいぜい採択された自身が得られる程度だ。でも、面白そうだった。だから申し込んだ。選考に必要だったのは3つ。プロフィール、「豊かさとはなにか」についての回答、自分の大切なものを伝える作品だ。プロフィールを書くのは簡単だった。しかし残る2つの課題はけっこう大変だった。着手し始めたのが締切の5時間前とかだったから文章は散り散り、伝えたいことをきちんと書けているかも怪しい。それでも面白いプロジェクトに触れることができてとても嬉しかった。採択されたいがどうなるかわからない。受かると良いなぁとぼんやり思いながら結果を待つ。課題で書いた「豊かさとはなにか」については後日編集してからブログで公開しようと思っている。どうぞよろしく。

最後に人生初のオフ会だ。わにちとトロさん、ゆっちさんとぷらちんと会って話した。場所はハロウィーンの渋谷。駅前には人がたくさんいて、仮装している人もちらほらいた。わにちはかぼちゃのコスを着てた。かわいかった。トロさんはお店を探してくれて、そのお店はめちゃ美味しいところだった。すごい頼りになるお兄さんという感じ。ゆっちさんはわにちといっぱい絡んでた。穏やかな感じで優しい感じだった。ぷらちんはめっちゃいじられてた。からだが細くて色が綺麗だった。かわいいっていっぱい言われてた。はじめはどういうメンツがあつまるのかきちんと把握していなかったのもあって不安だったけど、会ってみると皆話しやすくて楽しい時間を過ごすことができた。ついったで出会える人でハズレを引いたことがまだ一度もない。とても幸せなことだなと思う。皆あまり共通点はなくて、強いて言えばジェンダーとかに関係する界隈.......かなぁ?という感じだった。マイノリティがマジョリティになる空間。それがまた心地よかった。初対面なのに長年付き合ってきた友人くらいリラックスして話すことができた。ついったからの出会いだからだろうか?それとも皆の持つ性格からだろうか。両方かもしれない。最高に楽しい時間を面白い人達と過ごすことができた。私は未成年だからジンジャエールを飲みまくっていたけれど、次会うときはお酒を飲みたいなぁって思った。タバコも美味しそうだなぁと思ったり.......笑

10月が終わって振り返りつつブログを書こうとしたとき、良かったことしか思いつかない。これほど嬉しいことはあまりない。そしてこの感覚は一皮剥けるような挑戦をしたからこそ得られたものだと思っている。月3挑戦.......とは言わずに週3挑戦くらいやってみたいものだ。そのアイデアを書き留めておくだけでもできる可能性は高まる。自分用のノートをとってもいいけれど、ブログをつかって、いろいろな人に見てもらいたいなという思いはある。ただ、はてブだとあまり見ないし更新が面倒なんだよな.......。うまいツールを見つけて活用しようと思う。少しでもうまく自分の成長、楽しかったことを記録する方法が見つかると良いなぁ。なんて思う。まずはノートを書く習慣をつけることからかしらね。では!


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ジムに行ったもりきよ

「昨日のことを今日書くのってどうなの」という声がある。確かに記事の新鮮度は落ちるかもしれない。うむむむ。でも、文章をこねくりだしているのは今日の私なわけで。1日熟成させただけの文章を書けるならそれはそれで良いと思う。まあ、今日の記事に関してはそんなに熟成できてはいないのだけどね。

というわけで「昨日」ジムに行きました。おサカナです。家にテレビがないから受動的にニュースを摂取することのない私でも、まだコロナが収まっていないことは毎日メールに届くNYTimesのThe Briefingでわかっている。外出が制限されたこの状況下で人々はふたパターンに分断された.......!①外出・運動する機会を失って運動しなくなる人。②ジムに行ったり日常的な運動をする人。私は圧倒的に①だった。高校に通うために満員電車に乗ることもなくなったし当然よねって感じ。時間が経つにつれて、お腹まわりに肉が付き始めたのを実感するわけです。これは怖い。何か打開策を.......と思ったら徒歩5分ほどの所にスポーツセンターがあるではないか。これをきっかけにジムに行こうと思った。

初めてのジム。結構緊張したけれど、遊園地みたいで楽しかった。え?遊園地はもっと明るくてワクワクする所だって?。そう言っても、沢山普段見慣れない遊具があってそれに参加するのはおんなじでしょ?24時間やっている某チェーン型ジムとは違って、市が管理するものだからかついったで見かけるようなベンチプレスの器具はなかった。ダンベル、油圧式トレーニングマシン、ランニングマシン、腹筋台、それから自転車みたいなやつ。それだけでも制限時間の2時間を使い切るのには十分で、全部の器具は回りきれなかった。はじめに1時間もランニングマシンと自転車みたいなやつに使ったのが失敗だった。ランニングマシンは傾斜がつけられるのだけど、その表記方法が%とか‰ではなくて0.5、1.0みたいに0.5刻みに増えていく値だったのはよくわからなかった。職員の名前が小作さんとか羽村さんとか中央線の駅になっているのが面白かった。本当にそういう名前なのだろうか?わからない。

今日は背筋だけ筋肉痛になった。案外全体の筋肉はあるのかもしれない笑。この筋力を保ち向上させるために定期的にジムを使っていきたい。具体的には仕事のない火・木・土<日>の午後。眠くなる時間に運動することで目を覚ましたいなと思う。リフレッシュになるよね、きっと。

レーニングを日常、というか惰性から逃れるための術として使いたい。習慣化したあとは惰性から逃れたシンボルとして筋肉を誇りたい笑。挑戦し続けることは私にとっては大切でジムに通うというのもその一環だ。

挑戦といえば今日は篆書体を書くためのテキストを購入した。古本屋で1800円。ちょっと高いなとは思ったけれど、銀行からお金をおろしたばかりの私には微々たる問題だった。......本当はそんなことはない。きついパンチだった。そして後輩の紹介で面白い人と関わることになった。新しい教育の形を作りたいという人だ。おもしろい。少しでも携われたら良いなと思って連絡先を入手したかと思ったら、zoomで電話して早速プロジェクトに入れてもらえることになった。やったね。挑戦できる場を得ることが出来た。人間関係ってありがたい。

そして今週末はついったで知り合ったネッ友との初エンカが控えている。たのしいなぁ。今度は英語資格試験の勉強の本格化と語彙力を上げるための活動、おそらく文学小説を読むことに挑戦しようと思っている。挑戦に次ぐ挑戦。飽きるまでこのサイクルを回していこう。充実していて楽しい。

しかし挑戦するにはきちんとした生活の基盤を固めることが必要だ。そうでないと言うまでもなく挑戦する前に計画が頓挫してしまう。そういう観点から言うと今起きているのは非常にまずい。明日は居室チェックがあるから掃除を朝やらないといけない。最低でも8時に起きることを見ておかなくては。その後は訪問看護、その後は歯医者。どこかでジム。カツカツだけどきちんとこなしていきたい。これが次のワクワクへと私を導いてくれるから。

英語の資格試験どうこう言う前にミネルバのアプリケーションの内容くらいは考えないとね。明日からぼちぼちやっていこう。今月末の完成を目指して、前進前進。ミネルバのサイト、いっぱい読んでおこうね。


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漠然とした不安を打ち砕く挑戦。人生楽しく挑戦、挑戦

今は午前4時50分。普通なら起きていてはいけない時刻だ。禁止されているわけではないのだが、グループホーム世話人さんや下の階の人から「夜中に起きられていると生活音が騒音になる」という声が上がっているらしいのだ。なんでも下の階の人は聴覚過敏だとか。上の階の人が歩くだけでギシギシ音がするような家で深夜起きていれば、まあ騒音になりますわな。これが続くと厳重注意された後に追い出される可能性があるので早いうちに早寝早起きの習慣をつけておきたい。

それではなぜ今日は起きているのか。昨晩夜ふかししたからだ。昨日は『ノーゲーム・ノーライフ』を6時位まで読んでいた。ひさしぶりのラノベ。ちょっとハマってしまった。その後眠剤を飲んで目を覚ましたのが20時。その後も二度寝して22時10分の寝る前のルーティンを報せるアラームで目を覚ましたというわけだ。その後すぐに薬を飲んで寝てしまえばよかったのだが、夕食を摂ったりキャスを聞いていたりしたら遅い時間になっていた。こういうシチュエーションのときの行動を前もって考えて置かなかったのが原因だ。まずは早寝早起きをすること、そしてこういう事が万一起きたときはすぐに薬を飲んで寝てしまうことを徹底したい。

日中活動できなくて深夜起きているだけとなると活動の時間が限られるだけでなく種類も限られてくる。昼間はスーパーや百均、スポーツセンターなどの施設が営業しているが、夜間は閉まる。日中選択的に勉強するのと違って、夜の勉強は少し受動的になる。というのも洗濯などの家事が騒音への配慮からできなくなり、「勉強しかやることがない」という状況になるからだ。私は飽き性な部分があるから、気晴らしに家事をしたりする。それが出来ない夜間の勉強は効率が下がる。

今、私は漠然とした不安を抱いている。これは常日頃から持っているものだ。将来への不安、生活への不安、自分が変化できないのではないかという不安。様々な不安がまぜこぜになってうまく言語化出来ない。このような不安は、日中何も出来なかった日の夜に特に強くなる。きっと自分が成長できないのが恐ろしくなるのだと思う。その不安にかられて夜に勉強したりするのだ。そして結局は次の日もだめになってしまったりする。

反面、この不安は日中弱まる。不安に対しての具体的な解決案を考えたらすぐに実行できるからだと思う。不安とワクワク感は表裏一体なのだろう。日中、生活をより良いものにしようと活動しているときには、不安なんて無視できるくらい弱くなってワクワクしながら色々なことに挑戦できる。挑戦中は成長したあとの自分を思い描いて興奮する。挑戦は生活をどのようにして、より良いもの、楽しめるものにしようかと考えることから始まる。自分の将来像を思い描き、それに向けたプランを考える作業は最高に楽しい瞬間のひとつだ。

挑戦できることは身の回りにたくさんある。私を例えに出してみれば、受験だったり、瞑想や運動など新しい習慣の導入だったり、小説を書くことだったり様々だ。日常を過ごす上では見過ごしがちだが、世の中は挑戦に満ちている。それを探せるかどうかはその人次第だ。

ではどうすれば挑戦を探し、自分の挑戦と捉え、挑戦することができるのか。一番簡単なのは身の回りの問題を探すことだ。例えば、あなたは社会人になってから運動する機会が減ってしまい健康のことを気にしているかもしれない。または、仕事において上司から「あなたのアイデアには意外性がない」と言われて悩んでいるかもしれない。挑戦というと少し大げさな気がするが、問題を発見して解決していくこと。これもひとつの挑戦だと思う。等身大の悩みは一番手っ取り早く挑戦を探す手段だ。いま、何に困っているかを考えてみよう。

「身の回りのことはうまくいっていて特に不満は無い」という方は次のステップに進もう。一応ここで断っておくが、これはあくまで「別に挑戦なんてしなくてもいいし、日常に刺激なんていらない」という人向けの話ではない。「どんなときでも日常に負荷をかけて、刺激の多い人生を送りたいよね」と考える人用の話だ。前者の考えの人は「ほーん、もりきよはそう考えるのだな」と思って先を読んでもらえると嬉しい。

次のステップは視点を自分のものからジャンプさせて他者の景色を見せてもらうというものだ。今の世の中、少し検索したりSNSで周りを見るとすごい人と簡単に繋がれることに気がつくと思う。東大生、海外大生、起業家、作曲家、文筆家......etc。彼らに関する記事を読んだり、TLを追ったりすると自分の知らなかった挑戦に気がつく。ひとつひとつは専門的なものだったり、自分のレベルに合わないもので、受け入れにくいかもしれない。けれど、長く眺めているうちに自分でも関与できそうな問題を見つけることができる。例えば、英語がめちゃくちゃできる海外大生が日本人の英語力を高めるために単語帳を作って販売しているとしよう。当然、そのプロジェクトに直接関わることは出来ないかもしれない。でも、その活動を見て「英語力を高めたいな」とモチベーションを得て英検の勉強を始める......なんてことはできる。例えば、IQの高い人同士の会話を見て面白いなと思ったとする。このとき、彼らほどの記録が残せるかはわからないが、ハイレンジのIQテストに挑戦するということはできる。

このときに必要なのはちょっとした図々しさだと思う。他人の良いところを見て自分でもこのくらいはできるだろうと無鉄砲に突っ込む。自分の実力を少し多めに見積もってしまっていても問題ない。「私にはその実力がある」と多少なりとも思い込まないと挑戦なんてやってられないだろう。少し私の話をしよう。今年、私は「坊っちゃん大賞」というショートショートの大賞に申し込んだ。小説なんて書いたことなかったけれど、深夜のくすりを飲んだあとの大胆なテンションで「小説書きます」とツイートしたことと、高校で松山に修学旅行に行ったことでこの挑戦をすることになった。正直、小説を書く大変さをなめていた。どのくらいなめていたかというと「大賞をとっても生活保護のおかげで賞金が10分の1くらいになるな」と皮算用するくらいにはなめていた。結局書いているうちに「小説書くのきっついわ」と考えを改めることになるのだが、いい経験にはなった。現実なんて後で知るハメになるのだから、はじめは図々しくポジティブに。挑戦するためのコツだ。

この、他人からインスピレーションを得て挑戦するものを探すときに、「他人との比較ってあんまり良くないんじゃないの」という考えが浮かぶかもしれない。私は問題ないと思う。なぜなら、このときにする必要があるのは比較ではなく面白そうなジャンル探しだからだ。あなたの人生の主人公はあくまであなた。それを楽しくするためのオモチャ探しをしているだけなのだから、他者と比較してあなたに劣っているところがあったとしても何ら問題はない。そもそも、あらゆる分野でトップを目指すのは難しい。というか無理だ。類稀なる才能でいくつかの分野で頭角を現す人はいる。だけど、それはレアケースだと頭に入れておこう。少なくとも私にはそんな才能は無い。挑戦するものを探すときは、人はあくまでコンテンツの配信者だと考えよう。少なくとも彼らは配信者で、敵ではない。もしかしたら協力者になるかもしれない。あなたはそれを自由に見ることのできる閲覧者だ。世界を救えなくても全く問題ない。ワクワクすることで人生を豊かにしていけばよいではないか。

この方法で好奇心の赴くままに色々なことに挑戦していくと「色んな分野に精通しているけど能力は中途半端な人」ができやすいと思う。いわゆる器用貧乏だ。ひとつの分野で挑戦し続けていれば「専門家」だったり「第一人者」、「パイオニア的存在」になれるだろう。でも、少なくとも私は飽きっぽい。10,000時間の法則や1,000時間の法則なんてものもあるけれどそれより前に学習性無力感が来るのが常。実際に物事を動かす前に飽きてしまうなんてこともある。

でも、これが問題かといえばそうではない。別にキャリアアップのための勉強をしているわけではなくて趣味で「挑戦」しているだけなのだ。楽しみながら進んで器用貧乏になればいいと思う。無駄なことを学んで後に活かせる場面はきっとある。スティーブ・ジョブズのカリグラフィーが有名だが、彼が自分のヒーローだと言っていたポロライド社のエドウィン・ランドも示唆深い言葉を残している。「文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある」。これは何も革新的なことをしたい人だけではない、多くの人に知ってもらいたい言葉のひとつだ。

器用貧乏な人が実際にどんな職種で働いているのかを私は知らない。けど、生活保護で年収約230万程度の水準の生活をしていても案外生活は回る。少しづつ挑戦する余裕もある。これに仕事が入ったら余裕はなくなってくるのかな。両立できる、挑戦し続けられる仕事を見つけられたら良いなと思う。むしろ、そういう仕事を作る挑戦に取り組むのもありかもしれない。

挑戦するって、楽しいね。


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